体験談 / 一病息災 Vol.119(2022年1月号)
腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 雁瀬美佐がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです *敬称略)
(職業や治療法は、取材当時のものです *敬称略)
- 保存期
若林 茂雄さん(わかばやし しげお)
心身鍛錬と食事療法で保存期を維持
東京下町の柔道師範
柔道を修行して70年。家業の薬局を薬剤師として継ぎながら、卒業した高校や薬科大学の後輩の柔道指導に当たり、国の内外を問わず、稽古をつけた弟子の数はおよそ1,300名。東京都墨田区でその名を馳せる「ベンゼン道場」の道場主は、御年84歳。腎臓病が見つかったからこその若さと信念の持ち主です。
聞き手:雁瀬 美佐(腎臓サポート協会)
年齢(西暦) | 病歴・治療歴(本人の所感) | クレアチニン | 尿素窒素 |
---|---|---|---|
1937年生まれ | |||
65歳(2002年) | (この歳まで献血を続け、健康には自信あり) | ||
74歳(2011年) | 足が腫れ、痛風と自己診断して薬でしのぐ | ||
76歳(2013年) | 足の腫れと強烈な痛み、息苦しさから両国東口クリニック受診 痛風、慢性腎臓病と診断される | 2.05 | 24.6 |
80歳(2017年) | 通院4年(12年前の体力戻る。腎臓良好) | 1.99 | 25.8 |
84歳(2012年) | (体力が60歳くらいに戻る。通院8年を過ぎ体調良好) | 1.82 | 23.0 |
柔道との出会い、腎臓病の始まり
雁瀬 | その若々しい体つきにびっくりしますが、柔道を始めたきっかけをお聞かせください。 |
若林 | 私は1937年の早生まれで、体が小さかったからとにかく強くなりたいとずっと思っていて、中学1年生の終わりに町道場に入門したのがきっかけです。柔道の精神論も自分に合っていたと思いますが、相手にいかに勝つか「創意工夫」をするところがとても面白くて、始めてすぐにはまりました。それは今でもどんなことにも役立っています。 高校でも薬科大学でも柔道を続け、卒業後もOBとして後輩の指導に当たりました。1971年に自宅に道場を開き、地域の子どもたちを集めて柔道を教えはじめ、現在も継続しています。昨年で、柔道を修行してちょうど70年、出身の高校、大学で62年間、地元の中学校で10年間、道場で50年間指導したことになります。 |
雁瀬 | それほど長く体と心を鍛えていらした若林さんが、腎臓病になった頃のイメージが湧きませんが、症状や経過についてお話しいただけますか? |
若林 | 私は65歳まで献血をやっていたので、そのデータを見て健康には自信がありました。74歳の頃に左足の親指が腫れて痛くなったので、これは痛風ではないかと自己診断をして薬を飲んだり、お酒や食事を少し注意して過ごしていました。2年後、足がものすごく腫れて痛くて仕方がありませんでした。加えて柔道をやっていても息苦しくなったので、痛風が悪化してきたのではないかと思っていたのですが、それでも市販の薬などを飲んでごまかしていました。 すると見かねた看護師の娘に、痛風や腎臓病にいい病院があると両国東口クリニックに連れて行かれました。受診するとやはり痛風と慢性腎臓病で肺にも水が溜まっていました。約1カ月半、投薬治療をおこなったところ、肺に溜まった水や足の親指の腫れも治まり痛みも取れました。 |
雁瀬 | なるほど。薬剤師さんですから知識も薬もあって、対症療法はできてしまいますね。その後はいかがでしたか? |
若林 | 初診時の血液検査で、医師から腎臓の値も相当悪いと告げられ、「やがて透析になるかもしれませんよ」と言われました。透析をしている友人がいるので、これは大変だと思っていると、医師からは「病院の指導を守っていれば大丈夫だから」と励まされました。透析に入るのはぜったいに嫌だと思って治療を頑張ることにしました。 |
頑張り続けた食事療法
雁瀬 | まずは、基本となる食事についてどんな工夫をされましたか? |
若林 | 医師からは、食事の制限をしっかり守るように言われました。柔道を通して学生や仲間と集まるたびに、かなりの暴飲暴食をしてきたので、ここで食べることへのこだわりは一切捨てて徹底的にやってみようと思いました。 娘が「どんなものを食べればいいかわかるから1日1食腎臓病食をとってみれば」と言ってくれて始めたところ、腎臓に良い食材や量がわかり、食事に苦労しなくなりました。クレアチニン値も上昇しなくなったので「これでやれば何とかなるのではないか」と感じ、ずっと続けています。 |
雁瀬 | 管理栄養士さんにも相談していますか? |
若林 | はい。それまでは、お酒はもちろん干物などを送ってくれる人が大勢いたのでいっぱい食べていましたが、栄養指導では、肉を含めて魚や納豆など自分の好きなものは腎臓には良くないということがわかりショックでした。その後も通院のたびに栄養指導を受けています。栄養士さんからは「何を食べてもいいけれども、うまい具合に食べなさい」と言われていますが、そこが一番難しいところです。毎日届く腎臓病食を見ても、肉などは量が非常に少ないですね。 このように徹底した食事療法を続けているので、病院の看護師さんからもお褒めの言葉をいただいているんですよ。クレアチニン値が少し高めになるとすぐに栄養士さんが指導してくれて、間食の成分なども細かく教えてくれます。そういう意味ではとても安心しています。 |
雁瀬 | クレアチニン値以外に気を付けていることはありますか? |
若林 | カリウムですね。高くなると不整脈などの心臓疾患で心臓が止まることがあると言われました。それまでリンゴなどは5~6個一気に食べていましたが、果物は一切食べなくなりました。野菜も生はだめで茹でる必要があります。このカリウムを下げる方がきつかったですね。 |
生きがいが治療を助ける
雁瀬 | 一般的に激しく体をぶつける柔道は腎臓に悪いと思いがちです。こうやって続けられた秘訣、治療とのバランスを教えてください。 |
若林 | 医師からは「運動をしても構わないけれども、腎臓を強打したりしないように」と言われています。投げたり投げられたりするのが柔道ですからそこを何とかうまくやっています。最初のうちは恐る恐るやっていましたが、治療で息苦しさがなくなってくると、体は余計動けるようになってくるので、つい動きたくなります。検査値と見合わせながら、自分の「ここまでは大丈夫」という感覚を大切にしています。そこだけはいい患者とは言えないかもしれないけれども、あとは言われたことを結構守ってきたのではないかと自負しています(笑)。 体力は今60歳くらいなのではないかな。医師からは「今のまま頑張れば、10年は若くいることができる」と言われています。「筋肉もつけていいですよ」と言われていて、筋トレなどもがっちりやっていますよ。自転車やローラーブレードも乗っています。 |
雁瀬 | 楽しみや生きがいが奪われることなく、治療と共存できる生活を選択できたことも、保存期の維持にとても役立っているように感じます。腎臓病になると多くの方が落ち込み、うつの傾向も出たりするようですよ。 |
若林 | あると思います。でも私の場合は全然ない!柔道をしていますから。もしそのような方がいたら、散歩をするとか、散歩中に俳句を詠むとか、写真を撮るとか何か趣味を持つといいと思いますね。 私の場合は柔道で、医師からも「無理をしないように続けてもいいですよ」と言われていますが、「無理」をするところまでもっていかないと筋肉というのは鍛えられないんですよ。だから「無茶」はしてはいけないけど、「無理」なところまでぎりぎりいかないとね。この点は先生の言われることに少し反いていますかね(笑)。 |
腎臓病の患者さんたちへ
雁瀬 | 若林さんの経験から皆さんにメッセージを。 |
若林 | 私は毎年1回、誕生日に健康診断を受けています。やはり検査は必要だと思います。私の場合も単に痛風かと思って過ごしていたら症状が悪化し腎臓病の進行につながりましたので、小さな症状でも少し大袈裟に考えて、すぐに受診するといいと思います。タバコは吸いません。お酒は柔道を通して学生たちと1升くらいは飲むことがありました。でもやはり暴飲暴食はやめたほうがいいですよ。 実は、病気が見つかった頃に比べると体の動きも楽で、昨年には受身の前方回転連続30回ができるようになって、さらに自信をつけています。病院を見つけてくれた家族と、私らしさを尊重しながら指導をしてくれているクリニックとの出会いに感謝しています。治療の処方箋は当然だけど、心の処方箋が大切なんだよね。 |
インタビューを終えて
取材日は、雨降るとても寒い日でしたが、昭和の風情のある薬局で迎えてくださった若林さんは半袖のTシャツに裸足。道場着に着替えるとお孫さんとの取り組みを披露してくださいました。道場は賞状や感謝状、後輩からの寄せ書きで溢れていて、若林さんの笑顔と人柄にも納得。薬剤師としての知識と柔道師範としての心身の鍛錬に加えて、自らを律する強さをお持ちの素敵な方にお会いできて、帰路はすっかり心も温まっていました。これからも多くの方々の人生の師匠でいてください!
雁瀬美佐