体験談 / 一病息災 Vol.125(2023年7月号)

腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 雁瀬美佐がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです *敬称略)
  • PD
  • 腹膜透析

中井 則子さん(なかい のりこ)

患者さんの体験談~一病息災~ vol.125

仕事も旅も
このままがいい
腹膜透析で自分らしく

毎日、自宅や職場で腹膜透析をしています、と静かに穏やかに話す中井さん。楽しみは旅行と腹膜透析をしている友人との会話。頑張らない生き方が好きだけど、献腎移植が叶ったら富士山登頂とマラソン挑戦が夢と語る素敵な女性です。
聞き手:雁瀬 美佐(腎臓サポート協会)


年齢(西暦) 病歴・治療歴 クレアチニン eGFR 尿素窒素
1967年生まれ
中学生の頃 健診で尿たんぱくが出る
33歳(2000年6月) 健診で腎臓機能低下がわかり、阪大病院受診。
7~8年食事療法で数値を維持
2.4 22
44歳(2011年3月) 透析導入を告げられる 6.29 6.5 65
同年7月 腹膜透析開始 8.14 4.9 60
56歳(2023年5月) 現在、1日4回の腹膜透析 12.13 2.9 66

手のむくみ、疲労感から受診

雁瀬 腎不全がわかったのはいつ頃でどのような症状でしたか?
中井 中学生の頃の健診で尿にたんぱくが出ているようでしたが、自覚症状が全くなく親もあまり深く考えていなくてそのまま過ごしていました。仕事をしながら、友人と食事をしたり時々登山をしたりという生活をしていましたが、33歳の時、登山中に息が上がったり頭痛がありました。日常でも疲労感やだるさがあり、健診で腎臓機能が悪いという結果が出たので、大学病院を受診しました。
雁瀬 すぐに大学病院を受診されたのですね。
中井 手のむくみや疲労感がとても気になり、しっかりした医療機関を受診しようと思いました。また、通院することを考え、自宅からも職場からも通える病院を探して決めました。
雁瀬 受診した時のことを覚えていますか?
中井 血液検査や尿検査をしてクレアチニン値が2.4。その後、2週間ほど入院し、造影剤による検査やエコー検査も受けました。主治医からは「腎臓病です。いずれ透析になるかもしれませんが、食事療法である程度頑張れば先延ばしできますよ」と言われました。とてもショックでしたね。今思い返せば、透析を始める時よりショックでした。これからこの病気とどのように向き合っていかなければいけないのか、保存期や透析についての漠然とした不安もありました。透析は通院で週に3日は拘束されるというイメージしかありませんでした。先生から「事務の仕事であれば続けられますよ」と言われて安心しましたが、激しい運動は止められ、本格的な登山は断念しました。

中井さん

保存期を食事療法で維持

雁瀬 保存期はどのように維持されましたか?
中井 食事療法を徹底しました。「基本的に食べていけないものは何もない」とのことで、とても気が楽になりましたが「ただし量は守ってね」と言われました。たんぱく質を抑えるためにも肉は何g、野菜は何gと量を計って料理や食事をしていました。食事療法はつらくなかったですが、面倒くさかったです。ただ、これで少しでも透析までの期間を延ばせるのであればと思い頑張りました。透析になりたくないという気持ちが強かったんだと思います。
雁瀬 食事療法を続けて検査値はどうでしたか?
中井 月1回の受診でしたが、血液検査でクレアチニン値2という期間が7~8年、比較的長く続きました。ひょっとするとこのまま食事療法だけでいけるかもと甘く考えていましたが、41歳の頃から徐々に数値が上がっていき、2年半くらいで透析導入に至りました。大きなライフイベントもなく、仕事でもそれほど急激なストレスを感じることもなく、日々同じ食事療法を続けていましたが、腎臓は徐々に機能が落ちていました。

腹膜透析を選択して

雁瀬 透析導入については、いつどのようなお話があったのですか?
中井 透析導入の1年ほど前、先生に「数値がかなり悪くなってきていますね」と言われ、「血液透析と腹膜透析がありますが、中井さんは自己管理ができそうだから」ということで腹膜透析を勧められました。仕事を続けたかったですし、自宅でできて時間の拘束も少ない腹膜透析がいいと思いました。
 「クレアチニン値が8になったらカテーテルをお腹に入れる手術をします」と言われていて、その時を迎えてしまいました。
雁瀬 腹膜透析を始める時にはどんな準備をされましたか?
中井 腹膜透析を始めるにあたり、手術をしてカテーテルを体内に埋めます。私はSMAP法という方法をとりました。1度目の入院でカテーテルをお腹に埋める手術をし、しばらくして安定したら2度目の入院で出口部を切ってチューブを外に取り出します。そして実際に透析をしながら手技や透析バッグの処理方法、チューブ出口部の処置方法、お風呂での洗い方を看護師さんから教えていただきます。私の場合はCAPD(連続携行式腹膜透析)です。あらかじめ加温器で透析液を温めておき、お腹に貯めていた古い透析液を出してから新しい透析液を入れるという手順です。始めるまではとても不安でしたが、やってみると意外と簡単でした。透析バッグの交換も機械を使わず手繋ぎでおこなっており、カテーテルのキャップと透析液のキャップを開けて手で繋ぐだけで、手技は難しくないです。

中井さん

雁瀬 現在の腹膜透析の1日のスケジュールを教えていただけますか?
中井 1日に4回透析バッグを交換します。朝6時、10時、夜は18時と22時の4回です。10時と18時は職場にいることが多いので、普段、皆さんが会議や面談で使っている部屋を30分間の透析中だけお借りしています。

感染に注意しながら変わらぬ生活を続けて13年目

雁瀬 透析中のトラブルなどはありましたか?
中井 私はもともとアレルギーがあり、カテーテルやカテーテルを止めるテープでも皮膚がかぶれます。腹膜透析を始めてから2年目と3年目に感染が悪化し、カテーテルの交換を2回しました。今は皮膚が赤くなったり、出口部から少しでも膿がでているとすぐに受診するようにしています。通常の受診は月1回ですが、診察日以外でも感染など緊急なことがあればすぐに診ていただけるので安心です。自宅では、拭き掃除や長い間しゃがんでいるとお腹に圧がかかり、感染しやすくなるので気を付けています。部屋を清潔にしておくことも大切です。
雁瀬 腹膜透析が13年目になりますね。
中井 通院の血液透析と異なり、時間拘束などの縛りも少ないので仕事も続けられていますし、透析液などを旅先に送ってもらえるので旅行も楽しんでいます。旅先ではホテルの部屋、テーマパークでは医務室を借りることもできるし、空港などでも予約をしておけば部屋を用意してもらうこともできます。
 私が腹膜透析を始めた時に、看護師さんに「他の方はどうされていますか?」と聞いたら、ちょうど同じくらいの年齢で、私より半年前に腹膜透析を始めた方がいると紹介されて友達になりました。日常の生活や困ったことを話したり、透析がしんどくなった時も「そんなことを言わないで頑張ろうよ!」と励まされたり相談に乗ってくれたり情報交換もできて、お互いわかり合えるのでとても励みになっています。月に1回の受診日も合わせて、必ず会って話をしています。

中井さん

雁瀬 医療機関にも同病の方にも『相談』は良い治療の一部ですね。他に工夫をされていることは?
中井 食事に気を付けて疲れ過ぎないようにして、できるだけ「頑張らない」という生き方を続けるようにしています。今の仕事や旅行も続けたいので、無理をせずにゆっくりと生きていきたいと思っています。
雁瀬 最後に同じ病気の方たちにメッセージをお願いします。
中井 透析をすれば不便なこともあるけれど、ある程度普通の生活を送ることもできます。元気であれば、少しでも社会の役に立つことができると思い仕事を続けてきました。仕事を続けてこられたのは、職場の理解もあって皆さんに助けていただいたおかげだと思っています。透析の方法も色々あるので、自分の生活に合った透析方法を選んで、趣味や楽しいことを続けて、少しでも充実した人生を送っていただければと思います。

中井さん

インタビューを終えて

中井さんのお勤め先の保育園には小さな靴がいっぱい並んでいて、心温まる希望に満ちた風景でした。腹膜透析の開始と同時に献腎移植の登録をしていらっしゃるとのこと。移植までの平均待機年数まであともう少し、このまま移植まで頑張りたいとおっしゃっていました。頑張ってほしいと心から思いました。

 

雁瀬美佐

一覧に戻る