体験談 / 一病息災 Vol.127(2024年1月号)

腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 雁瀬美佐がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです *敬称略)
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大和 選手(やまと)

患者さんの体験談~一病息災~ vol.127

定期的な受診と自分の体を信じて
腎臓病とプロ野球選手を両立

小さい時から腎臓が悪いことを知りながら、やりたいことを貫き通し、俊足と堅守を武器にプロの世界で活躍されている大和選手。大好きな野球を長く続けるために守ったこと、選択したことをお話しいただきました。
聞き手:雁瀬 美佐(腎臓サポート協会)


●プロフィール: 鹿児島県鹿屋市出身、2006年阪神タイガースに入団。
2017年横浜DeNAベイスターズへ移籍、現在に至る。

年齢(西暦) 病歴・治療歴 クレアチニン eGFR
1987年生まれ
幼稚園年長時の健康診断で尿たんぱく検出
31歳(2018年頃) 徐々にクレアチニン値上昇、食事療法開始
35歳(2022年12月) クレアチニン値の急上昇、デント病と診断、
本格的な食事制限開始
3.93 15.6
35歳(2023年10月) 腎移植の検討 4.56 13

幼稚園の頃から尿たんぱくで定期受診

雁瀬 腎臓が悪いとわかった時の年齢や状況を教えていただけますか?
大和 幼稚園の尿検査で尿たんぱくが出ていて、調べると腎臓の機能が良くないということでした。近くの病院でも原因はわからず、市立病院で色々な検査をしましたが診断名もつかず、普通に生活していました。その頃水泳をしていたので「スポーツは止めてください」とだけ言われました。その後も、月に1回受診していましたが、大きな変化もなく経過観察が続きました。普通の人と変わりない生活ができていたので、小学校1年生からは医師の許可を得てソフトボールを始めました。
雁瀬 野球の道に入られたきっかけですね?
大和 小学校1年生の頃からプロ野球選手になりたいという夢があり、中学校で硬式野球を始めて、高校卒業後にプロに入りました。中学、高校は野球漬けでしたが、人よりも体力があったので、疲れなどを感じることはなかったですね。定期的な受診は中学卒業まできちんと続けました。高校になってからは寮生活なので、年に1回検査を受けていました。医師からは「脱水症状にだけはならないように」と言われていました。
雁瀬 スポーツをしていると水分や塩分の摂取、食事の制限は大変だったのでは?
大和 寮生活だったのでみんなと同じ食事でした。食事療法について自分は全然知らなかったですし、指導もなかったです。学生の頃でしたから、野球部ではそんなことは気にもしていられなかったというのが正直なところです。

大和選手

確定診断でついた病名は「デント病」

雁瀬 昨年、腎臓病であることを公表されましたね?
大和 ずっと病名がつかなかったのですが、昨年(2022年)の検査でクレアチニンの値がかなり上がっていて、詳しく検査したところ、初めて「デント病」だとわかりました。日本でも数百人しかいない遺伝性の希少疾患で、発症する人としない人がいるそうです。僕はそれまで目立った発症もなく、こうやってプロの世界で野球ができて本当に奇跡だと思っています。昨年35歳になり、これからも元気に野球ができるかなと思った時に、同じ病気の人に、この病気でも野球をやっている人がいることや、同じ病気を持つ子どもたちに勇気や希望を与えられればと思って公表させてもらいました。
雁瀬 現在の症状や治療を教えてください。
大和 今の腎臓の数値だと普通の人は入院して、病院食を摂っているのかもしれません。小さい時から体を動かして体力があったからこそ、今があると思うんです。プロの世界では、練習もシーズン中もきついですから、ある程度の疲れは当たり前に思ってしまうんでしょうね。薬も服用していません。2022年のシーズンから本格的に食事制限を始めました。塩分量を徐々に落としていって味に慣れることから始めました。球団の管理栄養士がつきっきりで球場や遠征先で管理してくれています。うどんを食べる時も、普通のものとは違ううどん(低たんぱく麺)にして、スープも薄めて最低限の塩分量で食事をします。最初はこんな味では食べられないと思いました。今でもあまり慣れませんね。「生野菜はなるべく食べない方がいい」と言われたので温野菜や焼野菜にしたり、食事面で工夫してもらっているのでとても助かります。でも、やっぱり大変だなと思いました。
雁瀬 体調や野球への影響はいかがですか?
大和 クレアチニン値の上下は少しあっても、食事制限で1年間を通して安定していたので、やってよかったと思いました。これが継続する一番の安心材料です。ただ、食後などに手がすごく浮腫むことがあります。野球選手にとってバットやグラブを持つ手の感覚はとても大切なので手袋の厚さを変えて練習しています。
 球団が変わって生活拠点が変わった時も、腎臓病の症状が進んだ時も、主治医が次の適した病院を紹介してくれて、治療を続けながら安心して野球に専念できていることも本当にありがたいと思っています。

大和選手

腎移植に向けて

雁瀬 今後の治療、腎代替療法の選択は考えていますか?
大和 昨年「そろそろ透析や移植を考えましょう」と言われ、血液透析か、腹膜透析か移植の選択肢の中で、自分は移植を選びました。野球を続けたいと思っているので体を動かすためには移植しかないという判断です。海外では腎移植をして野球をしている選手を見ていたので、移植が一番自分に合っていると思いました。
雁瀬 ご家族と相談されたんですね?
大和 自分の今の体の状況とまだ野球がしたいという想いを伝えた上で「腎臓移植が必要になってくるんだよね。日本は海外みたいにすぐに献腎移植ができる状況ではないから」とまず両親に話をして、次に兄と姉にという順番で相談しました。もちろん、みんな家族がいるし、本人の意思が一番なので「どうかな?」という話をしました。今、生体腎移植ができるかどうか検査をしています。

プラス思考で生きていこう

雁瀬 病気と闘う方にメッセージをお願いします。
大和 病気がわかった時は、誰もが不安になって、どうやって生きていけばいいかわからない時があると思いますが、本当に自分の体の無理がない範囲で、自分が好きなことを好きなようにしながら生きていけるのが一番理想だと僕は思います。僕はこの病気だったから人にはないものを持っていて、それが逆に強みだと思っています。「病気だからできない」ではなく、「病気だからできる」とプラスの方向に考えてもらいたいです。
 今後、同じような病気を持つ方への活動もしていきたいと思っています。

大和選手


<デント病とは>
出生時より尿細管性たんぱく尿が出現する遺伝性の疾患で、加齢と共に高リン尿血症や腎石灰化となり50歳前後で末期腎不全へと進行する。小児期には多くは無症状。学校検尿にてたんぱく尿を指摘されることが診断のきっかけとなる。成長とともに、多尿、骨軟化、腎機能低下が進行する。確立した治療法はない。
(難病情報センターホームページ(2023年11月現在)から引用、一部改変)

インタビューを終えて

試合での活躍を見てもインタビューで対面しても、今すぐ透析や移植が必要な方には見えないほど、強靭で明るい大和選手。「息子の野球の応援をしている方がずっと疲れますよ」と笑っていらっしゃいました。これからも多くのファンに夢と希望を与え続けていただきたいと思います。

 

雁瀬美佐

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