心に残る患者さん ~ドクターズエッセイ~Vol.101(2018年10月号)
(先生の肩書は掲載当時のものです)
服部 元史 先生
東京女子医科大学
腎臓小児科 教授・診療部長
小児末期腎不全診療の確かな歩み
~10年後に生まれていれば一人前の社会人になっていただろう幼い命~
1984年の春、卒業後直ちに東京女子医科大学腎臓小児科にお世話になり、34年が経ちました。
1987年当時の東京女子医科大学腎臓病総合医療センター透析室では、3人の小さな子ども達が血液透析を受けていました。いずれも腹膜透析の継続が困難なため遠方から来京し、当科で治療をおこなっておりました。当時の末期腎不全のこども達の多くは、生きていくのが精一杯の状況だったと思います。
卒後4年目に受け持った5才の男の子は、地元での腹膜透析が困難なため、山形県の酒田市から、お父さんと8才のお姉さんを地元に残したまま、お母さんと二人で上京されていました。からだには多数のアクセス関連の手術痕があり、輸血を繰り返してもヘモグロビン値は7g/dL以下、そして独りで歩くのは難しい状態でした。故太田和夫先生に内シャントを作っていただき、週3~4回の血液透析をおこなっておりましたが、本人とお母さんはもちろんのこと、血液透析用の太い針を穿刺する私自身、そして介助する看護師さんや臨床工学技師さんも本当に大変な毎日でした。
お母さんとはいろいろなお話しをさせて頂きましたが、「冬の酒田は日本海からの横なぐりの吹雪で眼を開けてまっすぐ歩けないのよ」との言葉が今も忘れられません。残念なことに、このお子さんは献腎移植を待ちながら、重症感染症のため亡くなりました。
上の写真は、腎臓を始めとする全身にシュウ酸カルシウムが沈着する高シュウ酸尿症という極めて稀で重症な病気のために、腎臓移植と肝臓移植を受けなければならなかったお子さんです。生後8か月の時には腹膜透析が開始され、腹膜透析を継続しながら、生後1才5か月時に生体部分肝移植を、そしてその後約6か月間の維持血液透析(写真左、2003年)を経て生体腎移植を受けました。
写真右は手術から3年経過した5才時に病棟を訪れた際のスナップショットです。
最初に紹介した1987年当時5才の男の子と、写真右の5才の男の子を比べていただければ、この間の小児末期腎不全診療の確かな歩みを理解していただけるかと思います。1987年の男の子が、もし10年ほど後に生まれていたら、今頃は一人前の社会人になっていただろうなとの想いが今も私の心のなかにあります。
最後に、この場をお借りして、小児末期腎不全診療を支えてくださっている多くのスタッフの皆さまに心より感謝申し上げます。