体験談 / 一病息災 Vol.63(2012年6月号)

腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
  • PD

高木 知恵子 さん(たかぎ ちえこ:1950年生まれ)

血液透析になる前に経験してみようと、PD(腹膜透析)を選択!
1950年生まれ。自覚症状がまったくないままに、52歳のとき健診で腎臓が悪いと知らされ、自己管理により10年の保存期を経て、2010年6月PD導入。仕事に趣味に、ご主人と2人で充実した毎日を送っています。

患者さんの体験談~一病息災~ vol.63

PD(腹膜透析)は生活の一部 毎日が楽しく、快適で~す!

楽しみはプールでのウォーキング、友達との旅行やカラオケ。食べることも大好き。かつて増えすぎてしまった体重を6年かけて20キロ減量することに成功しました。
発病前~保存期~PD(腹膜透析)導入、そして将来の血液透析まで見すえて、前向きに過ごしているという高木知恵子さんを、診察日におかかりの都立墨東病院に訪ね、ご一緒に散歩もしました。

時間をかければできる 20キロの減量に成功

松村 今、おいくつですか?
高木 62歳になります。
松村 まぁ、もっと若いと思いました。
高木 たぶん運動をしているからだと思います。プールでウォーキングをしています。週に2回から3回、1回にだいたい30分くらい歩いて、休憩して、サウナとかジャグジーとかいろいろやって、また30分くらい歩いて、全部で3時間くらいかけています。 いつも前向きに颯爽といつも前向きに颯爽と
松村 いつから続けているのですか?
高木 13年くらい前からです。
松村 始められたきっかけは?
高木 健診で腎臓が悪いことが分かり、自覚症状は何もなかったんですけど、栄養指導でカロリーを控えるよう言われました。
松村 腎臓病の場合はカロリーを摂るよう指示されることが多いのに?
高木 当時の私は体重が70キロ。身長が153センチですから、かなり太ってました。1.5人前は平気で食べていましたから。それで1日1600キロカロリーにするように言われました。だからプールに行ってやせようという気構えでした。
松村 今は何キロくらい?
高木 51~52キロです。20キロ減らしました。
松村 それはすごいわ。どれくらいかけて減らしたの?
高木 6年です。年に3キロ体重を落として、腹筋運動も一緒にしていたので、お腹がたるむこともありませんでした。
松村 時間をかけてゆっくりやせたからなんですね。でも良く続きましたね。
高木 運動は嫌いじゃないし、頑張りました。やっぱりなんでも根気ですね。

いずれはHDになるんだから、今はPDを試してみようと

松村 PD(腹膜透析)はいつから始めたのですか?
高木 2010年の6月に手術したので、ちょうど2年です。最初に腎臓病と診断されてから10年目です。 友達と過ごす時間が元気の源
友達と過ごす時間が元気の源
松村 ずいぶん頑張りましたね。透析導入の直前はきつかったですか?
高木 全然、息切れもなく、何もなかったんです。でも数値的にダメって言われて、ショックでした。実は7年前に父が糖尿から透析を導入して、3ヶ月で亡くなっていたものですから。
松村 まぁ、お父様の血液透析をみて知っていたから、PDにしたのですか?
高木 かなり迷いました。PDは衛生管理が大変だと聞いたことがあったので、とても心配でした。
松村 自分でやる治療だから、自己管理は大切ですよね。
高木 そうだと思います。でも、いずれHD(血液透析)になるのですから、経験できるのであれば、ちょっと試しにPDにしてみようかと思いました。
松村 毎日の治療はどんな感じでやってますか?
高木 APD(夜、自動的に透析液の交換をおこなう方法)で、だいたい夜12時から朝6時くらいまで。朝は透析液をいれたままで、午後3時頃に一度透析液の交換をします。そしてまた夜のAPDです。
松村 朝は透析液をいれたままですか?じゃ、プールでウォーキングをするときも透析液がはいったままですか?
高木 はい。最初は、ちょっと重い感じはあったんですが、今はほとんど気にならないので、1日お腹が空のことはないですね。
松村 調子はどう?PDで良かったですか?
高木 良かったです。顔色が良くなったって言われます。それに尿もまだ普通に出てるんです。
松村 まぁ、すごい、今、何cc?
高木 少なくはなったんですけど、700~800ccは普通に。むくみも何にもないので、水分を摂ってもいいと言われています。
それに担当の早川顕子先生から「腹膜の状態がものすごくいい」と言われているので、できるだけ長くPDで頑張りたいと思ってます。
松村 PDは比較的残腎機能が保たれるので、長くおしっこが出るんですよネ。このままいけるといいですね。

慣れればスムーズ 自分らしくアクティブに

松村 お仕事もしているんですよね?
高木 昼間は友達がやっている清掃の仕事を手伝っています。夜も主人と二人で家にいてもすることもないので(笑)、3時間くらいビルの清掃のパートに出ています。ちょっとしたお小遣いになりますし。
松村 旅行にも良く行かれるとか?
高木
友達とグループで伊東とか、一泊で行ける場所に行ってます。その時は、夜の機械を使わず、日中に3回、透析液を交換しています。透析液のバッグは、友達が一個ずつ持ってくれるので、助かっています。 まだ太っていたころ、旅先で友達とまだ太っていたころ、旅先で友達と
松村 遠くには行かないのですか?
高木 連休とか夏休みで主人が休みのときに、3~4泊とか1週間くらい実家に帰ります。このときも昼間の交換だけに切り替えて。車なので多めにバッグを持って行って、1日3~4回は交換しています。
松村 トラブルがあったことはありませんか?
高木 ないです。でも去年の地震の時だけ、ちょっと怖かったです。
松村 地震が午後3時前でしたから、昼間の透析液交換の準備中でした?
高木 まだ交換する前だったのですが、それよりもその晩からどうしようと思いました。APDはやらないほうがいいのか分からなくて、コールセンターに聞いてみました。電気が切れてからどのくらいAPDが働き続けるとか、丁寧に教えてくれ一安心しました。だけど余震のときはものすごく恐かったです。
松村 あのときは本当に大変でしたね。そのほかには何か困ったことはないですか?
高木 特にありません。不自由なことも何もないです。
松村 食事とか、きちんと自己管理できているんですね。
高木 そうでもないかもしれません。この間もお煎餅を食べ過ぎて、塩分が少し多いって言われてしまいました。最近はお腹のシワもちょっと気になるので、毎日プールにいこうと思っています。うちにいるとゴロゴロしちゃいますから。ゴロゴロしていると太るでしょ。外に出てれば体を動かすからいいかなと考えて。
松村 やっぱり前向きだわ。アクティブなんですね。
高木 昔からじっとしているのは苦手なんです。自分のペースが作れればいいと思っているので、こんなふうですけど、これからも食事療法と自己管理をうまく続けて、このままPDをもうちょっと長く続けていければいいな~と思っています。

インタビューを終えて

ちゃきちゃきの下町っ子といった風情の高木さんですが、福島出身とのこと。東京出身のご主人と、スカイタワーの見える場所で、毎日をアクティブに、ダイナミックに過ごしておられるご様子です。カラオケはシャンソン中心とのこと。「健常の人はPDを体験できないでしょ。私はHDになるまでPDを体験しているの」と、大好きな果物を半分でやめる以外、ストレスもなさそう。とても明るく素敵な方でした。

一覧に戻る