体験談 / 一病息災 Vol.78(2014年12月号)
腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
(職業や治療法は、取材当時のものです)
- 保存期
相澤 一幸 さん(あいざわ かずゆき:1960年生まれ)
永年、腎臓病を放置したことを反省!家族のためにも保存期を長く、前向きに生きたい!
1960年生まれ、53歳。市役所職員・保育園園長。
15歳で腎臓病を発症したが、48歳まで放置して腎不全に。ステロイドパルス療法と扁桃摘出を試みるも、寛解は得られず現在に至る。
入院中の奥様の献身的な看護に感激し、仕事や友達が中心だったそれまでの生活を改め、これからは家族と自分のために、病気と正面から向き合いながら、人生を楽しみたいと思っている。
15歳で腎臓病を発症したが、48歳まで放置して腎不全に。ステロイドパルス療法と扁桃摘出を試みるも、寛解は得られず現在に至る。
入院中の奥様の献身的な看護に感激し、仕事や友達が中心だったそれまでの生活を改め、これからは家族と自分のために、病気と正面から向き合いながら、人生を楽しみたいと思っている。
家族を顧みずほったらかしにしていた長年のお詫びに、これから少しずつ、家族孝行して返していきたい
第1回体験手記募集で佳作に入選した相澤一幸さんが腎臓の異常を指摘されたのは中学2年生でした。しかし、治療をしないままに高血圧と診断されたときは46才、すでに腎不全になっていました。その後、50才で扁桃摘出、ステロイドパルスなどの辛い治療を経験し、ご家族の大切さを実感なさったとのこと。奥様の佳代さんとご一緒にこれからへの思いを語っていただきました。
「治るかも」すがる思いでステロイドパルス療法を
松村 | おめでとうございます。佳作に入選なさいまして。手記によると、中学2年生のときに腎臓病だと診断されたのに、ずっと放置してしまったそうですね。 |
相澤 | ええ、風邪をひき扁桃腺から溶連菌が腎臓に回ったらしく、すぐに入院したのですが、自覚症状もなく、すぐ退院してしまいました。 |
松村 | では自宅療養を? |
相澤 | はい、早く学校に行きたいとベッドで専門誌を読み漁っていると、父が「皆、学校で楽しんでいるのに、おまえは行きたくないのか?本ばかり読んでいても仕方ないだろ。あまり気にしすぎるなよ」といわれ、学校に行き始めました。マラソン大会にも医者の許可が出たと嘘をついて参加して。 |
松村 | 大丈夫でしたか? |
相澤 | 何も起こりませんでした。だから大丈夫だって思っちゃったんですね。浅はかでした。知識を得れば得るほど、考えこんでいく自分が嫌で、考え過ぎて動けなくなるより、今を楽しく生きたい、とはき違えた前向きさが先行しちゃったんですね。 |
松村 | その後は? |
相澤 | ずっと尿蛋白がプラス2くらいで。35才で人間ドックを受けたときはプラス3でしたが、放置してました。 |
松村 | それが、いつどうして病院に? |
相澤 | 46才の時ですが、血圧が160/110と急に高くなり、筑波大学付属病院を紹介されました。すぐ腎生検で、IgA腎症だと診断されました。 |
松村 | 先生はどなたですか? |
相澤 | 山縣邦弘先生です。月1回、血液検査と尿検査を診ていただき、「まだ早いと思うけど、こんな治療法があります」と、腎代替療法の選択肢を説明してくれましたが、「できれば、やらない方向で」というと、「薬で様子をみましょう」と。その時、「扁桃摘出」や「ステロイドパルス療法」についても説明してくれました。 *ステロイドパルス療法:大量のステロイド剤を集中的に投与する療法でIgA腎症の治療に使われ、病期にもよるが、寛解(症状が消失)するケースもある。詳しくは、そらまめ通信Vol.67.腎臓教室「IgA腎症の治療に期待される扁摘・ステロイドパルス療法とは?」を参照。 |
松村 | その時のクレアチニンは? |
相澤 | 1.5くらいでしたが、突然2を超え、そのころ堀田修先生のステロイドパルスの本に出会いました。「治るかもしれない」との思いで、仙台の堀田修クリニックまで行きました。 |
松村 | それでどうでしたか? |
相澤 | 「何をやっていたんだ、今まで」と叱られ、東京の大久保病院を紹介されました。 |
松村 | ステロイドパルスをやったんですか? |
相澤 | はい。パルス、扁桃摘出、パルスと半年で3回入院しました。 |
松村 | どうでしたか? |
相澤 | ムーンフェイスになって、肩のあたりにも脂肪がついて、肩こりも酷く、足にもむくみがありましたね。 |
松村 | 腎臓病は改善したんですか? |
相澤 | 寛解はありませんでした。主治医にも50歳を超えると難しいといわれていましたが、ずっと出ていた血尿+3が消えて、おしっこの色がきれいになりました。 |
好きなものを食べるけど1週間でコントロール!
松村 | 今、クレアチンはどのくらい? |
相澤 | 今日、検査をしてきたのですが2.16でした。GFRが30を切っているので、CKDステージは4です。 |
松村 | じゃ、食事療法をしっかりしないといけませんね。塩分は、どのくらいですか? |
佳代 | かなり薄味にはしていますが、正確に計ってはいません。今では薄味にも慣れて、家族全員の健康管理にも役立っています。 |
松村 | たんぱく質制限は? |
佳代 | 管理栄養士さんから、お魚一切れの半分、だいたいこのくらいという見本を見せてもらい、感覚でやっています。サポート協会から送って頂いた栄養成分シートも活用しています。 |
松村 | ご主人の召し上がったものを一週間分書き出して管理栄養士の指導を受けてみては?そうすれば、透析導入をかなり遅くすることもできるかもしれませんよ。たんぱく調整米も始めたほうがいいのでは? |
佳代 | そうですね、親切なアドバイスをありがとうございます。 |
相澤 | ほかの食べ物は控えても、ご飯は美味しいのが食べたいですよね。 |
松村 | たんぱく質の摂りすぎは腎臓に負担をかけますからね。身体のためには良質のたんぱく質を摂るようにしたほうがいいんですよ。 |
相澤 | 牛肉、豚肉、卵っていいますよね。 |
松村 | そう、肉、魚、卵を多めに食べるためには主食のたんぱく質を減らすしかないんですよ。低タンパク米も今はずいぶんと食べやすくなりましたから、試してみてください。透析になりたくなかったら、食事療法をキチンとしないとね |
相澤 | そうですね、甘えかもしれませんが、ストレスは溜めたくないんですよ。今は、食べたいときは食べますが、その後の食事で調整するようにしています。仕事もしてますので宴会もありますが、周りに気を使わせたくないので必ず出席し普通にしています。それで、その後2~3日は、3食とも徹底します。減塩調味料も取り入れ、1日ではなく、1週間スパンでコントロールしています。 |
松村 | 食べ過ぎたら他の日に調整というのはいいですね。でも、宴会では少しずつ残すなど工夫してくださいネ。 |
家族と、人のために何かできる自分でいたい
松村 | どうしても透析ということになったら、腹膜透析(PD)?血液透析(HD)?それとも移植? | ||
相澤 | 自分でやるのは恐いですね。 | ||
松村 | お仕事している方はPDのほうが良いという方もいます。夜寝ている間だけやるAPDというのもありますよ。 | ||
相澤 | HDでも、クリニックによっては夜寝るときにやってくれて、朝は普通に会社に行けるという透析があるらしいですね。 | ||
松村 | ええ、そうすると、フルタイムで仕事ができますからね。 | ||
相澤 | でも透析になると、覇気がなくなってしまうような気がするのですが・・・ | ||
松村 | 最近の透析は本当に良くなったので、明日、元気でいるために透析をすると考えても良いと思います。 | ||
相澤 | 人生観変わる人もいますよね。 | ||
松村 | ポジティブになる方も多いですよ。ご子息2人のお孫さんを将来、抱っこしたいですか? | ||
相澤 | それは、もちろんです。 | ||
佳代 | どうしてもとなったら、私の腎臓をあげたいんです。 | ||
松村 | 60才過ぎの夫婦間移植が増えてますね。血液型が違っても移植できますからね。 | ||
相澤 | でも、健康な身体を傷つけて、臓器を提供するなんてそんな簡単にいってはいけないことで…夫婦とはいえ、親にもらった身体の一部をそう簡単に決めるものではないと。だから、「俺にいう前に親にいわないといけないこと」といったら、もういってあるっていうんです。言葉が出ませんでした。 | ||
松村 | すごい!奥様に感謝ですね。 | ||
相澤 | ええ、嬉しかったです、ただ嬉しかったですよ、涙が出るほどね。自分だったらどうなのだろうと自問自答したとき、すぐさま答えられないようなことですからね。 | ||
松村 | そうですね、でも、移植の話はまだ先のことですから、今はできることをしなくてはね。 | ||
相澤 |
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松村 | そうですね、ストレスを溜めないことは大切ですね。 | ||
相澤 | それから、辛い治療に耐えてきたことで、家族、特に家内の有り難さを痛感しました。今までは家族よりも仕事や友達を優先してきましたが、外で費やしていた時間を家族のために使い、今まで以上に幸せにしたいと思っています。そして、透析にならないようにしながら、家族と、何か、人のためになれる自分でいられればと考えています。 | ||
松村 | 奥様をなるべく傷つけなくてすむように、食事療法頑張ってくださいネ。 |