体験談 / 一病息災 Vol.83(2015年10月号)
腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
(職業や治療法は、取材当時のものです)
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今井 政敏 さん(いまい まさとし:1953年生まれ、一般社団法人 全国腎臓病協議会 会長)
熊本で透析をしながら、今の透析制度を未来に続けるために、全国を飛び歩いています。
1955年生まれ。先天的に左の腎臓が小さく、腎不全に。1996年腹膜透析(CAPD)を開始。2003年から2年半の施設透析を経て、2006年から在宅血液透析を始め、今に至る。趣味のビーズ織りは師範級で、講習会や展示会も開催している。
お人形を作っているうちにいろいろなものと出会い、世界がどんどん広がりました
腹膜透析(CAPD)、施設血液透析、在宅透析と17年間の透析生活を送りながら、常に前向きで、アクティブな辺見加代子さん。ヨーロッパのアンティーク・ドールに魅せられたことがきっかけで、ビーズ織りを学んで人に教えるまでに。
熊本で透析しながら全国を飛び回る
松村 | 2014年4月に全腎協の会長に就任され、現在はどのように活動していらっしゃるのですか? |
今井 | 月水金と地元の熊本で透析をしていますので、例えば、朝6時の便で上京して、次の日の朝に帰って透析という毎日の繰り返しです。 |
松村 | 熊本と東京の往復をなさっているんですか? |
今井 | 東京はそんなに苦ではないんですが、全国の各県腎協関連を回らなくてはならないので、結構きついです。まだ熊腎協(熊本県腎臓病患者連絡協議会)の事務局長もしているので、そちらの仕事もしていますから。 |
松村 | よく体が持ちますね? |
今井 | 6時間透析をしているので、体調は良かったのですが、最近は忙しすぎて透析が足りないような気がします。 |
松村 | ご家族は、何もおっしゃりませんか? |
今井 | 家族といっても、独身なので、親父と姉だけなんですよ。 |
松村 | 結婚なさらなかったの? |
今井 | 透析を導入するとき、ちょうど縁談があったんですけどね、余命5年といわれたものだから、それじゃ結婚できないって、お断りしたんです。 |
松村 | それでずっとお一人? |
今井 | 透析10年目くらいから、結婚すればよかったかなと思うようになりましたよ。そうしたら子供も二人ぐらいいたかもしれないし。 |
松村 | そうですよ、でも逆にいうと、お一人だから、 |
今井 | こういう仕事ができるんですよ。家族がいたら無理。家族で反対運動が起こる。 |
松村 | 前の会長さんも、家族となかなか会えないとおっしゃっていましたね。 |
死の手前まで、一人で保存期3年
松村 | 透析を導入したのは? |
今井 | 1988年5月23日で、今、28年目です。 |
松村 | 腎臓が悪いのがわかったのはいつですか? |
今井 | 20代にケガで入院したときに尿蛋白がでてるといわれたんですけど、すっかり忘れて放置しちゃったんです。30代初めに風邪みたいな症状で病院にいったら、「このまま入院しないと数日で死ぬ」と即入院です。 |
松村 | 緊急導入だったんですか? |
今井 | いや、専門病院じゃなかったので、導入病院に送られたんですけど、病院の都合で元の病院に戻されたり、再入院したり、結局、自宅待機になったんです。 |
松村 | その間、どうしてたんですか? |
今井 | 食事療法をして寝てました。タンパク30g、塩分3gで、2000キロカロリー以上といわれたけど、おちょこ一杯くらいのゴハンでした。頭を上げると貧血で、寒くて寒くて、真夏に布団2枚かぶって、ストーブを焚いて寝てました。 |
松村 | それを、どのくらい続けたんですか? |
今井 | 3年です。氷砂糖でカロリーを取っていたんですけど、体が氷砂糖を受けつけなくなって、病院に連絡したんです、「もう待てん」と。そしたら「君はまだ透析をしてないのか?」と。 |
松村 | 先生、忘れてらしたの? |
今井 | とっくにほかの病院で透析を始めていると思っていたそうです。 |
松村 | それですぐ透析に? |
今井 | いや、シャントを作って血管を育てるためにまた1ヶ月待ちました。というか、透析が嫌で粘っていたんですよ。 |
松村 | もう待てないから入院したんでしょ、それをなぜ? |
今井 | 実はね、透析を何年かやったら元気になって、元の生活に戻れると思っていたんですよ。そしたら先生に怒られて、「何を聞いていたんだ、君は不治の病にかかったんだ」といわれ、そして「5年しか保証できない」でしょ。ショックで透析を始めようなんて気になれなかったですよ。 |
松村 | どんなふうになりました? |
今井 | 地下の売店まで、最初は歩いて行っていたのが、歩けなくなってエレベーターを使って、でもエレベーターのドアが開いても歩けなくて這いずり出たり、最後はトイレに行こうとしてひっくり返って動けなくなりました。「もう1ヶ月も頑張ったけど、透析しないとダメみたいです、お願いします」といったら、「はよ分かって良かったね(笑)」と、やっと透析導入です。 |
松村 | それは大変でしたね。それが透析28年目でこんなにお元気で、全腎協の会長という重責まで担われているんですからね。 |
今井 | こんなに長生きできるなんて、透析の先輩たちのおかげですよね。長生きしてくれた人がいたから、いろいろなことが解明できて、透析医療も良くなったんですよ。 |
みんなで訴えなきゃ透析制度は崩壊する
松村 | これから先の全腎協はどうですか? | ||
今井 |
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松村 | 透析費用も公費負担になったし、身体障害者1級も認められたし、助成制度もいろいろできましたからね。それで緊張感が無くなってしまったのでしょうか? | ||
今井 | それもあるかもしれません。でも今も難しい問題は山積みなんですよ。一番の問題は全腎協が超高齢者団体になったということです。 | ||
松村 | そうですね。 | ||
今井 | 通院の問題、介護の問題、終末期医療の問題。今、国は在宅医療を推進していますが、核家族や一人世帯が増えた現在、在宅医療といわれても、老老介護などで無理があるんですよ。それに、透析をしていると、介護施設にも入りにくくなりますしね。 | ||
松村 | 老人ホームなどで在宅透析をするのは、認められていないんですよね。 | ||
今井 | 要求はしているんですが、法的に難しいといわれています。これからの課題ですね。 | ||
松村 | それができるようにならないと、お年寄りだけでなく、家族も困りますよね。 | ||
今井 | 透析患者の増加はあと5年くらいでピークなんですよ。10年後に団塊の世代が少なくなると、透析患者数も減少に転じます。だけど人口も減りますから、高齢の透析 患者の割合は変わらないわけですね。 | ||
松村 | 減っているのは若い働き手だけということですね。 | ||
今井 | 今後は、若い世代が高額な透析費用をかぶってくれるかどうかが問題ですね。 | ||
松村 | 公費負担が無くなって、自己負担になるいうことですか? | ||
今井 | 患者会としてはいいたくないことですけど、収入に応じて透析費用を負担せざるを得ない時代が、すぐ目の前に来ているんです。何年か前にも、夜間透析や祝祭日の費用がカットされそうになりましたからね。協力して取り組んでいかなければ、今の透析制度は崩壊してしまいます。 | ||
松村 | でも全腎協の会員は減っているのではないんですか? | ||
今井 | 残念ながら、その通りです。 | ||
松村 | 患者会って何のメリットがあるのと思う人も多いようですね。 | ||
今井 | 組合活動みたいだと偏見を持つ人もいます。現在のように医療技術も進歩し、楽に透析が受けられ、費用の心配もないという、条件が整ったなかで透析に入ってきた人は、それが当たり前だと思っていますからね。でも国の援助を得るために必死に運動した先輩患者や、率先して患者をリードしてくれた方たちがいたから、今の制度があるんです。 | ||
松村 | 40年前は、金の切れ目が命の切れ目といわれて、大変な高額治療でしたからね。 | ||
今井 | 導入年齢も50歳以下で、女性、子供、老人はダメでしたからね。今のようになれたのは、バブルの時期があったから要求が認められやすかったということがありますが、これからは大変です。 | ||
松村 | 責任重大ですね。 | ||
今井 | 先輩たちが頑張ってくれたから、今、私も元気で飛び回っていられるんです。そして自分がやっていることの恩恵を受けるのは10年後の患者たちです。今の透析制度を未来に残すために、一人でも多くの人の理解を得られるように、全国を回っているんです。 |