心に残る患者さん ~ドクターズエッセイ~Vol.89(2016年10月号)

ドクターが忘れがたい患者さんについて語るリレーエッセイ。
(先生の肩書は掲載当時のものです)

篠田 俊雄 先生   

河北総合病院 透析センター

患者さんとともに新しい治療法に挑戦!

 今年で医者になって丸40年、振り返ればあっという間でした。40年に8病院での勤務経験があり、家内に言わせれば「引っ越し貧乏」なのだそうで、家内や家族に大変な苦労を掛けてきたようです。それぞれの病院に楽しかった思い出、辛かった思い出があり、心に残る患者さんも多くおられます。中でも武蔵野赤十字病院と北信総合病院は木造病棟が残る歴史遺産のような病院で、内科の再建に苦労したためとくに思い出が多いです。

 ここで紹介するのは、武蔵野赤十字病院内科で受け持ったN氏です。N氏は40代男性の慢性腎不全患者で、日本トラベノール社(現、バクスター社)によるCAPD(腹膜透析)の治験に参加していただきました。前任地時代に東京女子医科大学腎臓病総合医療センターの足立婦長と二人で、米国のダラスとカナダのトロントというCAPDの聖地に研修に行かせていただき、治験用マニュアルの作成にも関わりました。N氏は若く活動性が高く、かつ自営業の方でCAPDの積極的適応にまさに適合した患者さんでした。

 わが国初めてのCAPDの治験であること、その利点とリスク、治験終了後もCAPDが継続可能であることなどを説明して同意を得ました。CAPD専用の診察室はなく、病棟片隅の倉庫がバッグ交換の場所となりました。かび臭いのが欠点でしたが、人の出入りがない空間という利点がありました。当時の腹膜透析液はシングルバッグで、バッグ交換はスパイク挿入方式、透析液注入後のバッグは腹巻に収納するという原始的なものでした。

 劣悪な環境での治療は腹膜炎発生のリスクが大きいため、はじめの数日間はバッグ交換ごと私が立ち会って指導しました。N氏は治療に協力的で、初期教育は短期間で終了し無事退院となりました。

 退院後は自家用車で移動する家業に復帰されました。仕事中のバッグ交換は換気を切った車の中で行うことになりました。N氏は性格的にもCAPDに最適(前向で楽天的な一方、慎重かつ几帳面)なためか、スパイク挿入方式にも拘らず腹膜炎合併はありませんでした。仕事や家庭生活が順調なことを外来受診時に嬉しそうに報告して下さいました。

 院内のほとんどの医師が見たことも、聞いたこともないCAPDという治療のため、外来治療での緊急時に救急外来での対応は困難と考えました。携帯電話もない時代でしたので、私の自宅電話による24時間オンコール体制となりました。結果的には1年余りの間に緊急連絡は1回もなく、この間に院内の緊急時体制を整えることができました。

 私自身は転勤のため、その後CAPDに関わる機会が少なくなりましたが、わが国でのCAPDの黎明期に関わることが出来たことはとても幸せな思いです。中でもCAPDにもっとも適した患者さんとしてN氏は強く心に残っています。残念ながら約12年後に脳出血で亡くなりましたが、この間CAPDでほぼ100%社会復帰されていました。

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