心に残る患者さん ~ドクターズエッセイ~Vol.105(2019年6月号)
(先生の肩書は掲載当時のものです)
河原﨑 宏雄 先生
稲城市立病院
診療部長、腎臓内科部長
腎不全の抱える精神・心理・身体・社会的な要因の複雑さ
50歳代の男性で最近血液透析に至った。腎移植を含めた腎代替療法の説明を希望されて紹介受診となった。普段の外来では言葉数が少なく、表情も硬い方だった。今後の計画について話し合った結果、専業主婦をされていた妻を提供者とした生体腎移植を検討することになった。そのほかに集まれる家族はいらっしゃらないため、夫婦そろって生体腎移植について話し合う外来を設けた。妻はうつむき加減で、夫の後ろに座って静かに医師の話を聞き、夫からの質問のみでその外来は終了した
しかし、夫と妻の術前検査を個別にして結果説明などをしていると、妻の様子が違う。質問も多く、不安が強いことがうかがわれた。何度か看護師や薬剤師を含めた医療者とともに、妻と話をしていくと、妻の見解では夫婦の仲はうまくいっておらず、正直腎提供することには十分納得いっていない、という内容でたびたび涙されていた。ただし夫の前ではそのような意見は言えず、困っていると。結果的に精神科の診察でもその悩みを打ち明けることはなかった。夫婦間のパワーバランスも関係しているようだった。
この状況では生体腎移植は成り立たないのだが、その後の夫婦の仲を考えてどのように移植を取り下げるまたは延期するか非常に困った。これほど患者さんの夫婦関係に立ち入り、困ったことはなかった。時間をかけて妻の意見や負担感、夫婦間で話し合われた内容などについても話し合う場を設けて、検査を少しずつ進めていくうちに結果的には妻には早期の結腸癌が見つかり、医学的な理由で移植はいったん取りやめになった。それを夫に告げると、落胆と怒りの声が聞かれた。はじめて感情を表出した瞬間だった。結果にたどり着くまでの経過が長すぎる、という主張だった。一方の妻は癌の告知をしたところ、会釈されて診察室を後にし、後日外来に顔を出され、感謝の言葉をいただいた。不思議と表情は穏やかに見えたのが印象的であった。
私の診察はここで終了したわけだが、腎不全および腎代替療法の選択がその家庭の今後に大きな変化をもたらした。腎不全医療の話を始めた外来から、病む人(患者)と周囲の人(妻)の生活と負担の話になり、解決の無い解決の糸口を多職種とも相談しながら、外来で何とか探すという思いもよらない展開となった。その後の夫婦の生活がどうなったかは分からない。
腎代替療法で生命・生活を維持する腎不全患者さんには、今までの体調や環境や生活との変化が大きく、境遇を受け入れることができずに苦しむ方がいらっしゃる。時にはその思いや疾病の負担が介護者・家族にも大きくのしかかることがある。腎不全の抱える精神・心理・身体・社会的な要因を含めた多角的な課題と、医師一人の力の限界について改めて考えさせられた症例であった。