心に残る患者さん ~ドクターズエッセイ~Vol.120(2022年4月号)
(先生の肩書は掲載当時のものです)
鶴屋 和彦 先生
奈良県立医科大学
腎臓内科学
多くの困難を乗り越えての出産例
私が研修医の時、高血圧症と腎機能障害を合併した妊娠例の入院主治医になったことがあります。患者さんは40代の初産婦で、血圧管理が困難であったため、医局のカンファレンスで妊娠継続を断念してもらう方針となりました。しかし、患者さん自身が妊娠継続を強く希望し、われわれの説得は聞き入れてもらえず、結局妊娠を継続し、母子ともに問題なく出産できました。
もし、患者さんが医師の意見を受け入れていたら、一つの貴重な命は誕生しなかったわけです。
中等度~高度の腎機能障害例では妊娠合併症のリスクが高く、腎機能低下、透析導入のリスクも高いため、妊娠を控えるべきと考えられています。しかしながら、上記のように簡単に諦められない場合も多く、非常に難しい問題です。これまで私は、腎疾患患者の妊娠例に対し、患者さんの希望をできるだけ受け入れるように心がけてきました。幸いほとんどの患者さんが無事に出産に至りましたが、そのなかでも最も心に残っているのがSさんです。
私が外来で最初にSさんを診察した時、Sさんは30代前半でした。多発性嚢胞腎による慢性腎臓病(CKD)で、今後、進行する可能性が高いと予想されました。その時Sさんには強い挙児希望がありましたがなかなか妊娠できず、体外受精を何度試みてもうまくいかないことに悩んでいました。また、CKDもどんどん悪くなり、月1回の外来時にクレアチニン値が上昇していることにショックを受け、毎回泣きながら診察室を後にするSさんの姿を見て、無力感に苛まれながらつらい気持ちで診察を終えていたことを鮮明に覚えています。その後もCKDは増悪し、もうこれ以上悪化した状況での妊娠は困難と思われました。これが最後と覚悟して臨んだ体外受精がうまくいき、一度は妊娠しましたがすぐに流産し、結局、妊娠を諦めざるをえない状況になってしまいました。
この時、わずかな望みとしてあった可能性が、「末期腎不全に至った後に腎移植を受けて妊娠・出産する」というものですが、普通に考えて到底無理だろうと思われました。なぜなら、Sさんはこの時既に30代半ばを過ぎており、もし、末期腎不全に至るまでに時間がかかれば年齢的に妊娠が困難になってしまいます。妊娠可能な時期に腎移植を受けたとしても、妊娠できる可能性は低く、妊娠しても出産までのハードルは極めて高いと思われました。しかしこの後、思わぬ展開が待っていました。CKDは急速に悪化し、Sさんは1年以内に末期腎不全に至りました。母親をドナーとして受けた先行的腎移植がうまくいき、1年後に再度不妊治療を開始したところすんなりと妊娠し、30代後半で無事に第一子を出産することができました。2度目の妊娠ですべてがうまくいったのは奇跡的で、きっとこれまでの苦労が報われたのだろうと思われました。多くの困難を乗り越えて生まれた一つの命が元気に育っていくことを願ってやみません。