心に残る患者さん ~ドクターズエッセイ~Vol.121(2022年7月号)
(先生の肩書は掲載当時のものです)
満生 浩司 先生 (みついき こうじ)
原三信病院 腎臓内科
腎臓食とにわとりのエサ
今、腎臓病に関する新しい薬が次々と登場しています。これまでは「慢性腎臓病」そのものを適応とする薬剤はなかったのですが、ついに2021年8月SGLT2阻害薬が認可されました。また腎性貧血の治療薬といえば注射薬のエリスロポエチン製剤しかありませんでしたが、2019年からは内服のHIF-PH阻害薬が使用可能となりました。注射では効果が持続しないため通院間隔短縮を余儀なくされていた患者さんたちにも朗報となりました。このように慢性腎臓病の治療は新時代を迎えていると言えるかもしれません。でも忘れてはならないことがあるのです。それはどんなに優れた新薬がドラマチックに現れたとしても、日々の食事に地道に気を配ることが一番基本の治療であることに変わりはないということです。例えばSGLT2阻害薬などの腎保護に効果があるとされる薬を服用しても、たくさん塩分を摂ってしまえば結局意味がないということです。
腎臓内科では慢性腎臓病の患者さんに全身の精密検査や内服薬の調整のために1~2週間ほど入院していただくことがあります。この入院のもう一つの重要な目的は、塩分やたんぱく質を制限した腎臓食を朝昼晩と食していただき、理論や数字ばかりを伝えざるを得ない栄養指導の実際を実感していただくことです。
70代の男性Aさんもそういった慢性腎臓病の患者さんでした。私は入院して数日後に尋ねてみました。「腎臓の食事はいかがですか?」「先生、はっきり言うけどくさ、まずかよ(以下博多弁です)」「味気ないですか?」「正直、食えたもんじゃなか」「塩分6gですもんね」「あのさ、まるでにわとりのエサばい、先生も1回食ってみい」私はAさんの「にわとりのエサ」という表現に、はっとしたのを記憶しています。私たちが一生懸命指導している1日6gの塩分制限はそんなに食事の喜びを奪うものなのか、当たり前に考えていて良いのだろうか、と。それとも塩気が大好きなAさんの誇張した表現なのかな、とも思いました。そこで科学的に考察してみました。養鶏場での標準的な飼料中に含まれる塩分量は1日当たり0.35gです。成鶏の体重を3kgとしてAさんの体重60kgに当てはめてみると、なんと1日当たり約7gの塩分量でした。Aさんはものの見事に言い当てていたのです。減塩食の味気なさはまさに「にわとりのエサ」なのだと。人間の素直な感覚は決して侮れない鋭いものであると感じ入りました。率直なAさんは時々愚痴を言いながらもしっかり頑張って2週間で退院されました。その後、血圧がすっかり良くなり腎臓の進行も緩和され、「まずい飯にも慣れたばい」と、上機嫌でした。かつて栄養士さんが味覚を感じる舌の感覚器「味蕾(みらい)」の細胞周期は約10日間です、と教えてくれました。きっとこの2週間の食事指導がAさんの味覚を変え、救ってくれているんでしょう。石の上にも3年ならぬ、腎臓食にも10日なんだなと思いつつ、今も患者さんに向き合っています。