心に残る患者さん ~ドクターズエッセイ~Vol.127(2024年1月号)
(先生の肩書は掲載当時のものです)
猪阪 善隆 先生 (いさか よしたか)
大阪大学大学院
医学系研究科腎臓内科学 教授
SDMの必要性を認識した患者さん
2015年にNHKの“きょうの健康”に出演させていただきました。その際、腹膜透析を選択された患者さんにインタビューをさせていただけないかと相談され、わたくしの患者さんにビデオ出演いただきました。その患者さんは、私が保存期から診察していた高齢男性で、いつも奥さまと一緒に外来に来られ、一生懸命食事療法などに取り組んでおられました。塩分やたんぱく、カリウムの摂取量などについても検査結果をもとにお話しし、管理栄養士の方にも指導いただきながら、患者さんや奥さまと食事内容について振り返りながら外来診察をしていました。しかし、徐々に腎機能が低下し、腎代替療法を考えないといけない時期に、血液透析と腹膜透析、腎移植について説明しました。
タイトルにあるSDM(Shared Decision Making、シェアード・ディシジョン・メイキング)は、医療者と患者さんが協働して医療上の決定を下すプロセスと定義されています。現在では腎代替療法選択にあたっては、医師からは医学的な情報や最善のエビデンスをお伝えし、逆に患者さんやそのご家族からは患者さんの生活背景や価値観などをお伝えいただくことで、医療者と患者さんが双方の情報を共有しながら、一緒に意思を決定するSDMが重要とされています。当時はSDMという概念は日本では浸透しておらず、血液透析や腹膜透析などについて、実際の治療法のやり方や予後について説明して、患者さんに治療法を選んでいただく、いわゆるインフォームドコンセントという方法で説明していました。説明した次の外来の際に腹膜透析を選びたいというお返事をいただき、腹膜透析で治療を開始しました。
さて、“きょうの健康”のインタビューに私自身は同行しませんでしたので、患者さんがどのようなお話をされていたのか、本番まで全く知りませんでした。インタビューでは、患者さんへの「楽しみにしていることは何ですか」という質問に、「楽しみの一つは夫婦でコーヒーを飲みながら一緒に果物を食べることです。腹膜透析を始めるまでは、カリウム制限のためにコーヒーや果物をずっと我慢していたから」とお話しながら、ご夫婦で仲良く果物を食べておられたのです。また、「もう一つの楽しみは夫婦旅行で、腹膜透析の道具をカバンに入れて、行く先々でバッグ交換をしている」というお話もされていて非常に驚いたのをよく覚えています。患者さんは私がお話しした腹膜透析の予後などのことを参考にして、腹膜透析を選ばれたのだと思っていたのです。しかし、患者さんにとって腎代替療法を選ぶうえでの選択の基準は果物や旅行のことであったのです。その後、「腎代替療法選択ガイド2020」も出版されましたが、このことが心に残っており、患者さんの生活背景や価値観などをよく知ったうえで患者さんと一緒に治療法を決定するSDMの重要性を考えるたびに思い出す患者さんです。