体験談 / 一病息災 Vol.101(2018年10月号)

腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
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西塚 一彦 さん(にしづか かずひこ:1946年生まれ)

仕事人間は、腎臓を省みる間もなく透析に。
妻の申し出で移植ができ今も信用組合理事長さん!
1946年3月生まれ72才。山形県北郡信用組合理事長。33才の健康診断で腎臓が悪いことが分かり、扁桃を摘出し小康状態を得る。41才の健康診断で再発、徐々に進行し、62才で腎生検によりIgA腎症と診断される。65才で椎貝クリニックを受診し保存療法を開始、67才血液透析導入、2015年69才で妻千栄子さんからの提供で腎移植。

患者さんの体験談~一病息災~ vol.101

本当にかみさんの健康な身体から腎臓をもらっていいのだろうか?
一緒に元気に、同じ時間を過ごせるなら、それで良い!

信用組合の理事長を務める西塚一彦さんは、33才の検診で腎臓が悪いことが分かり、このときは扁桃を摘出し改善。その後も、仕事熱心なうえに、夜の付き合いも人いちばい、夜な夜な飲み歩いていました。40才を過ぎ再発しましたが自覚症状はなく、次々と責任あるポストを任され、そのまま放置してしまいました。65才で保存療法を開始、時すでに遅く67才で血液透析導入、69才で奥様の千栄子さんからの提供で生体腎臓移植を受けました。移植3年目の検診とシャント閉塞のため、山形から東邦大学医療センターに来て入院されていたご夫妻をお尋ねし、お話を伺いました。

自覚症状がないためCDKをほったらかしに

松村 奥様から提供をうけ腎移植して3年ということですが、具合はいかがですか?
西塚 お陰様で何も問題はありません。
松村 奥様も大丈夫ですか?
千栄子 はい、二人ともクレアチニンが0.9で、数値もとてもよいです。
松村 手術はどなたがしてくださったのですか?
西塚 東邦医大の相川厚先生です。昨日はシャント閉鎖の手術を受けました。
松村 それは良かった!移植腎がちゃんと正着して血液透析(HD)に戻ることはないということですね。奥様の腎臓ととても相性がよいんですって?
西塚 はい、血液型は違うんですけど、HLA*が4つも一致しているそうなんです。
松村 腎移植はいつごろから考えていたのですか?
西塚 実は、私はまったく考えていなかったんですよ。
松村 そもそも腎臓が悪いと分かったのはいつですか?
西塚 20代から血圧は高かったんですが、若いから気にすることはないといわれていて。それで33才のとき健康診断で腎臓が引っかかったんです。
松村 病院にはいかれました?
西塚 山形の県立病院にいったら、扁桃の摘出を勧められ、良くなったんです。
松村 IgA腎症だったんですね。
西塚 ずっと後、62才のときクレアチニンが2を超え、腎生検をしたらIgA腎症といわれました。
松村 慢性腎臓病(CKD)が徐々に進行していたんですね。治療はしていたのですか?
西塚 検診では毎回引っかかっていて、食事療法をするようにいわれ、かみさんと栄養指導も受けにいきましたけど~
千栄子 教えてもらったときだけちょっと気をつけるのですが、当時は私も仕事をしてましたし、主人の両親も健在で、子供達も手がかかる年頃だったので、とても主人の分だけ別に作るなんてできませんでした。
西塚 「将来、透析になってしまいますよ」といわれても、症状がないし自覚もなくて、毎晩飲み歩いていました。リーマンショックもあって金融業は大変な時期で、仕事も忙しく、身体のことを考える余裕などなかったのが実情です。
松村 いつから気にするようになったんですか?
西塚 2011年、クレアチニンが5.17になり、6を超えたら透析の準備をしましょうといわれましたが、透析だけは絶対に嫌だと思いました。
松村 それでどうしたんですか?

※HLA:ヒト白血球抗原。移植では6つのHLA の適合性が重要視されてきましたが、免疫 抑制剤の進歩で、HLAも、赤血球のABOも一致しなくても移植可能になりました。

保存療法を始めたがCKDの進行は止められず

西塚 透析を避ける方法はないかセカンドオピニオンを求めて、昭和医大の秋澤忠男先生に診ていただいたんです。
松村 何と診断されましたか?
西塚 やはり、「もう透析か腎移植しかないでしょう」といわれました。その頃は移植なんて考えてもいなかったから、「仕方ない、透析か」 という気持ちに一度はなったんです。
松村 心構えができたんですね。
西塚 ところが、秋澤先生のところにいったのが7月で、1ヶ月後の8月末の日経新聞に「透析にはいらなくても済む人がいる」という椎貝達夫先生の記事を見つけたんです。すぐ電話をして、9月3日には茨城県の椎貝クリニックを受診していました。
松村 保存療法でCKDの進行を食い止め、透析になる人を減らそうと考えておられる椎貝先生ですね。それでなんと?
西塚 「ギリギリでお見えになりましたね、でも頑張ってやってみましょう」と、それから山形から茨城まで通うことになりました。
松村 それまでの治療とはどう違いましたか?
西塚 なかなか大変でした。毎回蓄尿し、その結果を診て細かい食事指導と薬を処方してもらいました。クレメジンなど薬は徐々に増えていきました。
松村 大変だったでしょう?
西塚 食事療法は辛いと思いましたが、透析せずに通院できるありがたさを感じていました。
松村 お食事は全部奥様が?
千栄子 はい、たんぱく質何グラム、リンはどのくらいと、全部決められているので、まず量りを買い、本も読みましたが、もうチンプンカンプンで~
松村 それでどうなりましたか?
西塚 検査値はなかなか改善しませんでした。1年後にクレアチンが6を超えた時点でいったん進行は止まったんですが、そこで風邪をひいて一気に悪くなり、「透析の準備が必要です」といわれました。
松村 椎貝先生から移植についての説明もあったのですか?
西塚 それはありませんでした。
松村 では奥様が提案なさったの?

透析になる直前奥様から移植の申し出

千栄子 はい。昭和医大の秋澤先生が、「透析か移植」といわれたのを覚えていたんです。そのとき、「私の腎臓では?」と思いましたが、具体的にどうやったら実際に移植できるのかも分かりませんでした。
松村 いつから具体的に?
千栄子 主人は移植については何もいいませんでしたが、ネットで調べ、できればいいなと思うようになり、椎貝先生に「私の腎臓をあげて移植するのは どうでしょう?」と思い切って聞いてみました。
松村 先生は何と?
千栄子 「奥さん、大歓迎ですよ」っておっしゃったんです。それで「ああ、大丈夫なんだ」と腎臓をあげる決心がつきました。
松村 でも、移植する前に透析を始めたのですよね?
西塚 ギリギリまで頑張っていたのでかなり悪くなっていて、移植に備えて体調を整えるために透析を始めました。
松村 どんな具合だったんですか?
西塚 だるいし、食欲も全くなく、77~8キロぐらいあった体重が65キロまで減りました。
千栄子 匂いがするんです。歯を磨いてないのかな?胃が悪いのかな?と思いましたが、尿毒素のせいだったんです。
松村 それは辛かったですね。それで透析を始めてどうでした?
西塚 気持ち悪いのがスカッとして、びっくりしましたよ。
千栄子 1回透析をしただけで、匂いもなくなったんです。
松村 どのくらい透析をしていたんですか?
西塚 2年です。
松村 ずいぶん長いですね?
西塚 IgA腎症だと、移植した腎に再発することがあるそうで、執刀してくださる先生がなかなか見つからなくて。椎貝先生が「透析をして待っていてください」って。
松村 透析は辛かったのですか?
西塚 ええ、移植があるから透析も耐えられたのだと思います。でも一番辛かったのは、本当にかみさんの健康な身体から腎臓をもらっていいのだろうか悩んだことです。このまま透析でもいいんじゃないかなと2年間ずっと葛藤がありました。
松村 奥様は迷われたことはなかったですか?
千栄子 椎貝先生が「大歓迎」といってくださったのだから問題ないって思ってました。このまま透析していても合併症とかがでてくるし、1年でも2年でも3年でも、一緒に元気に同じ時間を過ごせるなら、それで良いと思いました。
松村 それでうまく執刀医は見つかったんですね。
西塚 椎貝先生がいろいろ探してくださって、東邦医大の相川先生を紹介してくださいました。
松村 不安はありませんでしたか?
西塚 移植について詳しい説明を受けたあと、相川先生の「大丈夫ですよ」の一言は説得力があって、もう全然心配しなくていいと思いました。
松村 移植してどうですか?
西塚 体調はいいし、透析をしなくていいというのは素晴らしいことですね。
千栄子
移植腎を大切にしなくてはと思うようで、お酒も控えるし、無理しないようになってくれ、移植しても3年になります。 写真

インタビューを終えて

「主人は仕事があったからここまでやってこれたんです。60才で定年退職してたらどうなっていたか」と奥様。移植をしてますますお忙しく重責を担っている西塚さん、「やりがい」と「責任感」が元気のもとかもしれませんね。奥様はお子さんたちも独立してゆとりもできたので、出雲大社やお伊勢参りなど、夫婦で訪ねてみたいところがたくさんあるそうです。西塚さんも、これからは奥様と一緒に旅行もしたいなぁ~とおっしゃっていました。なんとか時間をやりくりして、移植した腎臓に感謝しながら、あちこちお出かけになれると良いですね。

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