体験談 / 一病息災 Vol.106(2019年8月号)
腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
(職業や治療法は、取材当時のものです)
- PD
丘 玉蓉 さん(おか よくよう:1949年生まれ)
血液透析(HD)と思っていたのが 腹膜透析(PD)を選んで、とても快適!海外・国内と、旅行三昧!
1949年、台湾生まれ、70才、一人住まい。23才で結婚しご主人の仕事の 都合で来日、帰化。息子二人。30代の人間ドックで慢性腎炎がわかるが治 療せずに放置。50代から高血圧の治療開始。65才でそろそろ透析と診断さ れ食事療法を開始。血液透析(HD)を選択しシャントを作るが、食事管理が うまくいき透析を先延ばし。69才、主治医の勧めで腹膜透析(PD)導入。
医療行為は医療機関でと信じていたけど、自分でもできるのがわかりました。
日本に帰化している台湾生まれの丘玉蓉さんは、30代で腎臓が悪いことがわかっていたのに治療しませんでした。65才でそろそろ透析と診断され、食事療法を開始。血液透析(HD)を選択しシャントも作りましたが、食事管理がうまくいき透析を先延ばしにしていました。自己管理ができるので、主治医から腹膜透析(PD)を提案され、自分でもPDについて調べてみると、自由に旅行ができることがわかりました。今ではPDを導入し、国内外を精力的に旅しています。
自分でやるPDなら旅行も自由にいける
松村 | 腹膜透析(PD)を導入して旅行を楽しんでいると伺いましたが、いつPDを始めたのですか? |
丘 | 昨年の7月です。 |
松村 | ちょうど1年ですね。どこに行かれましたか? |
丘 | 昨年10月に北海道、11月に故郷の台北に、そして今年1月に息子がいるロサンゼルス、5月にはロンドンにいってきました。 |
松村 | そんなに!PDをする前から旅行は行ってたのですか? |
丘 | 旅行はしてましたけど、あまり楽しくなかったです。 |
松村 | というと? |
丘 | 疲れやすかったし、透析のことを考えると、もう何もできないと思ってしまって。 |
松村 | 落ち込みました? |
丘 | すごく、もう人生終わりだと感じてました。 |
松村 | どうして立ち直れたのですか? |
丘 | PDを始めたらすぐ元気になって。こんなに楽になるなんて、本当に良い治療です。しかも旅行に行くときは、必要なものを現地に届けてくれると聞き、北海道旅行を計画したんです。 |
松村 | 最初の旅行は心配では? |
丘 | ぜんぜん、ホテルに着くと、機械も薬剤もそろっていて、何の心配もなかったです。 |
松村 | 食事はどうしてますか? |
丘 | PDを始めると、保存期のころに比べて食事の制限が緩くなったので、肉も野菜も果物も食べられます。ただ量は控えるようにして、塩分には気をつけています。 |
松村 | 次はどこか計画してますか? |
丘 | 秋にオーロラを見にカナダ行く予定です。 |
最初はHDを選択。でも、PDに変えてよかった!
松村 | 腎臓が悪いのが分かったのはいつですか? |
丘 | 30代の始め、人間ドックで血尿とタンパク尿があり、慢性腎炎だといわれました。 |
松村 | 治療はしたんですか? |
丘 | 自覚症状もないので、なにもしませんでした。 |
松村 | いつから治療を始めました? |
丘 | 血圧が高くなって50代から薬を飲み始め、あとは塩分を控えるくらいです。 |
松村 | その頃は日本にいらしたの? |
丘 | 主人の仕事で30代はじめに日本に来て、日本国籍もとっていたのですが、48才のとき主人ががんで亡くなったんです。子供も独立していて、一人では寂しくて。そしたら友人が誘ってくれ、台北に戻ってNECの下請会社で秘書をしていました。 |
松村 | 台北のお医者さまに診ていただいていたのですか? |
丘 | はい、でも腎臓病が進行しているなんて考えもしませんでした。台北は食事が美味しいので、友達と一緒に美食三昧してました。 |
松村 | それでいつ日本に? |
丘 | 65才のときです。美味しいものをたくさん食べていたのが腎臓に悪かったようで、いつ透析になってもおかしくないといわれて。ちょうど長男が日本で結婚したので、近くにいるほうが安心だと思い、日本に戻ってきました。 |
松村 | 病院はどちらに? |
丘 | 済生会中央病院です。腎臓内科の小松素明先生に診ていただいています。栄養指導も受け、たんぱく質制限やカリウムやリンのコントロールを教えてもらいました。 |
松村 | 腎代替療法の説明も? |
丘 | はい、血液透析(HD)とPD、移植についてビデオを見せてもらいました。 |
松村 | すぐPDに決めたのですか? |
丘 | いえ、透析といったらHDしかないと思いこんでいたんです。PDのビデオも見ましたが、医療行為は医療機関に任せるのが安全だと信じていたので、自分でやる治療なんて考えもしませんでした。 |
松村 | それではいつPDに? |
丘 | 3年ほど前、いつでも透析に入れるようシャントを作りました。透析になったら何もできないと思い込んでいたので、今のうちにと、ずっとやりたかったスキューバダイビングにいったんです。そしたらシャントを作った腕が腫れてしまって… |
松村 | シャントがダメになってしまったんですか? |
丘 | 先生は、使ってみなければ分からない、詰まってしまったかもといっていました。 |
松村 | どうしたんですか? |
丘 | その頃は自分で食事の管理ができるようになって数値も安定していたので、しばらく様子をみてました。一年くらいたったころ、小 松先生が、「PDもあるよ。丘さんならできると思うから、考え直したら?」と勧めてくれたんです。 |
松村 | 自己管理ができると認めてくださったのね。 |
丘 | はい、それで初めてPDについて真剣に勉強しました。日本や台湾のホームページをみて、PDを経験した患者さん、お医者さんや看護師さんの情報を調べ、そんなに難しくないのもわかったし、PDは旅行が自由にできるというのが魅力的でした。 |
松村 | 勉強するうちにいろいろ分かってきたのですね。 |
丘 | ええ、PDはずっと続けることはできなく、いずれはHDに移行しなくてはならないことも知りました。HDからPDに変えるのは難しそうだから、最初にPDをやってみようと思いました。 |
「手順を指示してくれるので、とっても簡単
ですよ」「ほんと、誰でもできそうですね」
松村 | PDファーストを選択したのは正解じゃないですか。 |
丘 | ただ私は一人暮らしなので何かあったら心配で、先生に聞いてみたんです。そしたら、「24時間コールセンターが対応してくれるから心配ない」といわれ、PDにする決心がつきました。 |
松村 | やってみてどうでしたか? |
丘 | 最初2回ほどアラームがなって、チューブのつなぎ目から液が漏れたりする失敗もありましたが、コールセンターの指示で何事もなく処理できました。すぐに慣れ、今ではとても簡単です。 |
松村 | 体調はどうでしたか? |
丘 | PDを始めたときはあまり変わりませんでしたが、疲れなくなりましたね。しかも透析をして一年たってもまだあたりまえに尿がでているのも良かったと思っています。 |
松村 | PDは残存腎機能が比較的長持ちするようですね。 |
スケジュールに合わせて治療できるから便利!
松村 | 今はどんなスケジュールでPDをやっているのですか? |
丘 | 寝ている間に自動的に透析液を交換するAPDで、夜9時から翌朝の6時までです。 |
松村 | 9時間ですか。昼間は? |
丘 | 昼間は何もしていません。病気が進んだら、昼間もした方がいいのかもしれませんが。 |
松村 | 機械音がうるさくないですか? |
丘 | 大丈夫です。眠りが深いみたいで邪魔になりません。 |
松村 | トイレはどうするのですか? |
丘 | チューブが3メートルあるので、トイレに近いところにベッドを移して対応しています。台所も届くので、治療をしながらいろいろできます。 |
松村 | 旅先ではどうしていますか? |
丘 | メーカーに頼んでおくと、つなぐ機械と透析液を旅先に届けてくれます。自動的に透析液を交換してくれる機械はレンタルできないので、手動で1日3回やっています。 |
松村 | 朝昼晩ですか? |
丘 | 夜だけです。夕方6時に透析液を入れ、午後9時に排液し、新しい透析液を入れ朝6時に交換します。でかけるまえ、午前9時に排液して、日中はフリーです。 |
松村 | それは身軽でいいですけど、手動でやるのは大変では? |
丘 | チューブをつなぐ機械はレンタルできるので、それを使ってとても簡単です。透析液を入れるのに15分くらい、排液するのに15分くらいです。ロンドンにいったときはフライトが13時間なので、成田で透析液を入れ、機内で排液して、ロンドンの空港で透析液を入れました。 |
松村 | いつやるのかは先生と相談して決めているのですか? |
丘 | フライトが遅れたりしたらどうしたらよいか、一度、先生に聞いてみたのですが、「いつどんな処置をしたか記録をつけていれば、自分で決めて構わない」といわれたので、スケジュールを考えながら自分で決めています。 |
松村 | 計画が立てやすいですね。 |
丘 | そうなんです。こんな快適に治療ができるなんて、病気なのを忘れちゃうほどです。 |