体験談 / 一病息災 Vol.109(2020年2月号)
腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
(職業や治療法は、取材当時のものです)
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平綿 春潮(幹夫)さん(ひらわた しゅんちょう(みきお):1933年生まれ)
透析をはじめたら身体が楽になって、以前に増して大忙し!合併症もなんのその、俳句や絵画に、毎日充実!
1933年横須賀生まれ。1952年伊東郵便局勤務、1993年定年退職、加入者協会所長として再就職、1997年頃より高血圧症、尿たんぱくで伊東市のはぁとふる病院通院、東邦大学大森病院へ転院、2008年血液透析導入、地元のはぁとふる病院で現在まで透析をおこなっている。2008年より伊東市俳句連盟会長、現顧問。伊東市美術会会員として年2回のグループ展出品。
透析だからと暗くなることはない、楽しいです、ほんと楽しいです!
昨年の作文コンテストで、透析をしながら忙しい日々を綴った作文で優秀賞を受賞した平綿春潮さん。伊東市俳句連盟の会長だけでなく、絵画や楽器、書道と多くの趣味を楽しんでいます。お酒が大好きで、仕事柄、連日宴席という日々を続け、高血圧症から透析導入になったとのこと。何事にも一生懸命に取り組むお人柄で、ポジティブに前向きでいることで、元気に過ごしていらっしゃいます。
透析時間に、やらなきゃならないことを片付ける
松村 | 昨年は素敵な作文をありがとうございました。75才で透析に入って11年目とか、なんでそんなにお忙しいのですか? |
平綿 | 透析を始めた年から伊東市の俳句連盟の会長を続け、やっと去年、顧問になりました。 |
松村 | 春潮さんというのは俳号だったのですね。 |
平綿 | そうです。伊東はつつじ祭りが有名で、それに合わせて毎年俳句大会を開きます。その企画から設営まで、すべてやらなきゃならないんです。 |
松村 | 具体的にどんなことを? |
平綿 | 募集や広報、選句から表彰と、やることが山ほどあります。 |
松村 | それは大変ですね。 |
平綿 | 透析の時間は、計画を練ったり俳句を選んだり、することがたくさんあるんですよ。 |
松村 | 俳句はいつ頃からなさっているのですか? |
平綿 | もう50年くらい続けています。凝り性なので始めると一生懸命になっちゃうんですよ。ほかに絵画や書道、楽器演奏といろいろやってます。 |
松村 | 応募くださった作文も達筆できれいな字でしたものね。 |
平綿 | 俳句をしていると短冊や色紙を書くので字の勉強もして、正師範という免許もいただきました。 |
松村 | それはすばらしいですね。透析で趣味が制限されたりすることはなかったですか? |
平綿 | 透析を始める前は具合が悪くて結構辛かったんですけど、透析を始めたら楽になって、またどんどん活動できるようになりました。 |
「己の敵を知れ」と透析についても猛勉強!
松村 | 原疾患は何だったのですか? |
平綿 | 高血圧です。それが腎臓に影響して、尿たんぱくが出てしまいました。 |
松村 | 血圧はどのくらい? |
平綿 | 現役のころは160~70くらい。原因はお酒ですよ。 |
松村 | かなり召し上がるのですか?? |
平綿 | 郵便局に勤めていたのですが、仕事柄、宴席が多かったんです。一番の元は沖縄に転勤になったことですね。 |
松村 | 沖縄に?いつ? |
平綿 | 1972年5月15日。沖縄が祖国復帰して、簡保事業の指導のため、復帰の日の一番機で転勤したんです。 |
松村 | おいくつのときですか? |
平綿 | 39才です。沖縄の人は泡盛を朝まで飲むじゃないですか。それにつき合っていて、身体を壊したんじゃないかと思うんですよ。 |
松村 | お酒はずっと飲み続けて? |
平綿 | 沖縄の後もあっちこっち転勤しましたが、やっぱり飲んでました。 |
松村 | そんなに飲んだんですか? |
平綿 | 好きですからね。肝臓は悪くなるかもと思ってましたが、腎臓が悪くなるなんて想像もしませんでしたよ。 |
松村 | いつまで飲んでたのですか? |
平綿 | 定年退職して簡保の加入者協会の所長に再就職したんですが、そこでの主な仕事が会員を旅行に連れて行くことだったんですよ。 |
松村 | それじゃ毎日宴会ですね。 |
平綿 | そうなんです。旅行の下見もあったし、本番は宴席を盛り上げなくてはならないし… |
松村 | それだけ続けていたら、高血圧にもなりますね。 |
平綿 | 5定年前から高血圧の治療はしていました。67才で退職して、それからは趣味の活動に専念しています。 |
松村 | 高血圧の治療はどこで? |
平綿 | 地元のはぁとふる病院で、減塩と降圧剤を飲んでました。2005年に尿たんぱくがでて、クレアチニンが1.89、「このままじゃ透析」といわれてびっくりしました。それで友達から東邦大学の大森病院を紹介してもらったんです。 |
松村 | 腎臓の治療を始めたんですか? |
平綿 | 高血圧の治療だけで、ほかはなにもしませんでした。2007年にクレアチニンが3になり、半年後には8まで上がってしまいました。 |
松村 | 早かったですね。クレアチニンが2くらいのときから食事療法をしっかりすれば、進行を遅らせることもできたはずですよね。 |
平綿 | 食事療法をやっても、透析は避けることはできないんじゃないですか? |
松村 | 人にもよりますが、サポート協会の会員さんには、食事療法をしっかりしてクレアチニン3,4,5で20年間キープしている人もいますよ。 |
平綿 | ほんとですか?もっと早く知っていればよかったな~腎臓病について勉強を始めたのは、「透析」といわれてからでしたから。 |
松村 | 「透析」といわれたときはどうでしたか? |
平綿 | 正直ガクッときました。なんとかやらない方法はないかと思いましたが、クレアチニンはどんどん上がって、とうとうシャントを作ることになりました。 |
松村 | 落ち込みましたか? |
平綿 | そのときだけです。「己の敵を知れ」と思って、病院の近くの本屋さんで腎臓病の本を買ったんです。そしたら患者向けじゃなくて、看護する方の本で、シャントのこと、透析のこと、合併症のことなど詳しく説明してあって、すごく勉強になりました。 |
松村 | 全部読まれたんですか? |
平綿 | 読みました。病院に置いてある冊子も全部読みました。勉強会があれば必ず参加し、三島、沼津や浜松まで行きました。腎臓サポート協会でもらった冊子も参考になりました。 |
松村 | ずいぶん一生懸命に勉強なさったんですね。 |
平綿 | でも、もう手遅れでした。その頃は調子が悪くて、駅から病院に行く途中で倒れたこともありました。そして透析を始めました。 |
松村 | どうでしたか? |
平綿 | それが、透析を始めたら、身体は楽になるし、食事も緩和されて、なんだ、これならもっと早くやれば良かったと思ったくらいです。 |
腎不全でも、趣味三昧で毎日大忙し!
松村 | お酒は止められたのですか? |
平綿 | 止められない!先生に聞いたら「ほどほどに」と… |
松村 | どのくらい召し上がるんですか? |
平綿 | 日本酒で1合、ウィスキーはダブル、焼酎もダブル。 |
松村 | それ全部?毎日? |
平綿 | その日によってどれかです。 |
松村 | それで少なくなったほうなんですか?で、今はどんな活動をしているのですか? |
平綿 | 俳句大会の準備のほか、美術会会員として油絵制作、楽器演奏やカラオケと、透析日以外は予定がびっしりです。 |
松村 | お忙しいんですね。透析は週3日ですか? |
平綿 | 火木土の午前中に4時間です。この時間は休養だと思って、選句をしたり、絵の構想を練ったりしていて、看護師さんから「今日は何の日?」と聞かれたりするんです。 |
松村 | いろいろできるのは、透析が順調なんですね。 |
平綿 | 最初は透析中に血圧が下がり気を失うこともありましたが、今はなくなりました。最初のシャントが11年たっても健在で、驚かれるくらいなんです |
松村 | 11年!それはすごい。体調もいいのですね? |
平綿 | 元気ですが、もう86才ですから、それなりに合併症も多いんですよ。 |
松村 | どんな? |
平綿 | 2012年に聴神経腫瘍が見つかりガンマナイフ照射治療で切除したのですが、後遺症が残り右まぶたがおかしくなちゃっいました。16年には脊椎間狭窄症と末梢動脈狭窄症でバルーンを入れました。一昨年は右手拇指を脱臼しちゃいましてね。 |
松村 | それは大変でした。 |
平綿 | ギターも弾きたいし、沖縄で買ってきた三線の練習もしたいんですけどね。 |
松村 | いくら時間があっても足りませんね。 |
平綿 | 透析で時間を取られるのが辛いですよ。 |
松村 | やっぱり透析は負担ですよね。 |
平綿 | なんで腎臓病になっちゃったのかと考えることもありますよ。肝臓だの胃の病気で、一日置きに透析なんてやらないじゃないですか。腎臓病って恐ろしい病気ですよ。 |
松村 | 肝不全になったら、移植以外に治療がないですけど、腎臓なら透析があるって考えると、ちょっと違うのでは? |
平綿 | ああ、そういうふうな考えもあるんですね。 |
松村 | 腎不全でも、お元気でいろいろできるんですからね。 |
平綿 | そうですね、確かにいろいろできて、毎日楽しい、ほんと、楽しいですよ! |