体験談 / 一病息災 Vol.128(2024年4月号)
腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 雁瀬美佐がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです *敬称略)
(職業や治療法は、取材当時のものです *敬称略)
- PD
- HD
- HHD
大屋 竜二 さん(おおや りょうじ)
思い切り生きるための療法選択
在宅透析は生活の一部
腎臓病と診断されても、アグレッシブに活動することこそ「生きる価値」。その時々に、目的を叶える療法選択をしてきた大屋さん。透析歴34年の今、フルタイムでの仕事と家族との大切な時間を優先し、透析を生活の一部にする工夫をお聞きしました。
聞き手:雁瀬 美佐(腎臓サポート協会)
年齢(西暦) | 病歴・治療歴 |
---|---|
1968年生まれ | |
高校時代 | 健診で尿たんぱく。IgA腎症と診断される |
18歳~21歳 | 保存期(定期健診で普通に過ごす) |
21歳(1989年) | 食事制限(低たんぱく・減塩)開始 |
22歳(1990年) | CAPD選択(後に、週1回のHDを追加) |
30歳(1998年) | HDに変更 |
37歳(2005年) | HHDに変更し、現在(56歳)に至る |
IgA腎症と診断されても青春謳歌
雁瀬 | 腎臓が悪いことがわかったきっかけや、その後の経緯を教えていただけますか? |
大屋 | 高校の健康診断で尿たんぱくが出ていると言われ、かかりつけ医に大学病院を紹介されました。受診して腎生検をしたところ「IgA腎症」という診断でしたが、特に自覚症状もなく定期的に受診していたことくらいしか覚えていません。 |
雁瀬 | 大学生活はどのように過ごされたのですか? |
大屋 | 夜間の大学に入り、朝から夕方までアルバイトをして、午後5時半から授業を受け、その後も仲間と12時頃まで過ごして夜中1時に就寝、翌朝またアルバイトに行くという激しい生活をしていました。その頃、大学病院の主治医が替わり、検査データを見た途端に「なぜ今まで食事制限をしていなかったんだ」と叱られ、そこから低たんぱく食、減塩食が始まりました。母親が食品分析表とにらめっこをして、低たんぱくの料理を作るのに苦労していました。食事制限が始まったのは腎機能が本当に下がってからだったので、今思えばもっと前から制限をしていれば、保存期が長く保てたと思います。ただ、20歳前後を本当にかけがえのない青春時代として忙しく楽しく充実して過ごしたことは、今はいい思い出になっています。 22歳の頃、風邪を引いたことがきっかけで腎機能が急に悪化し、透析導入という状況になりました。周囲が就職活動で内定を取る中、自分はもう普通の就職や社会生活はできないだろうと諦めていました。尿毒症で入院している時、たまたまCAPD(持続携行式腹膜透析)をしている患者さんと同室になり、「CAPDは時間的な拘束もなくフルタイムで働けてプライベートを自由に使える」と聞きました。主治医に「私もCAPDを選択したい」と伝え、教育入院で手技や心構えを学び、CAPD導入となりました。同時に、先生の勧めもあって腎臓移植の登録もしました。 |
フルタイムで働けることが前提で
雁瀬 | CAPDを選択してフルタイムでの就職を目指したのですね? |
大屋 | 透析導入後、安定してから身障者枠で就職することができました。会社も協力的で、職場で透析液の交換をするスペースを提供してくれて、フルタイムで働けたことには充実感がありました。また、結婚もして一緒に旅行も楽しんでいました。CAPDを8年ほど続けた頃、少しずつ除水が悪くなってきたので、CAPDにプラスして1週間に1度HDを入れていましたが、最終的には、施設透析(HD)に切り替えました。 |
雁瀬 | 活動的な大屋さんにとって、施設透析の生活はいかがでしたか? |
大屋 | フルタイムの正社員として働き、透析日は残業をしないで病院に行き、午後7時から4時間夜間透析を受けていました。透析がない日には英会話教室や手話、合唱のサークル、コンピュータの学校に行くなどスケジュールを目一杯詰めていて、それなりに充実した生活を送っていましたね。ただ、透析の日は仕事を6時に終わらなければいけないので、同じ職場の仲間たちに「ごめん」と言いながら退社するストレスがありました。また、7時に透析に入ってもその施設では最終組だったので、透析も早く終わらなければという二重のストレスがありましたね。 |
雁瀬 | そして今はHHD(在宅血液透析)をされていますね。 |
大屋 | 36歳の頃、引っ越しをすることになりましたが、新居の近くでは18時以降の夜間透析をしているところがなく、それならHHDに変更すればいいと思いつき、自分で調べて転院しました。ただ、導入前に介助者と二人で3週間の教育プログラムを受けなければいけないのですが、夫婦ともにフルタイムで仕事をしていたので、土曜と祝日をすべて当てて3週間のプログラムを3カ月間でできるように組み直していただき、やっと導入に至りました。そこが一番苦労した点でした。その他、HHD導入までに、家の電気はブレーカーを増設し、水道は洗濯機につながる水道管を分岐して透析器を置くリビングのベッドサイドまで配管工事をしました。たまにマシントラブルもあるのですが、連絡すれば翌日にはスタッフの方が来て修理してくれるので不安はありません。 |
在宅透析は生活の一部
雁瀬 | 大屋さんはすべての透析療法を経験されてきましたが、それぞれの印象をお聞かせください。 |
大屋 | CAPDは食事制限も緩くなりましたが、重たい液をお腹に入れていたので、体感的には多少もたつきはありました。HDは、1日4時間では状況によって除水がきつい時もあり、しんどさはありました。今のHHDは、基準として6.5時間のオーバーナイト透析を1日おきにしています。1カ月の透析時間は約90時間でHDに比べると断然長い時間を確保できているので、食事や水分管理がかなり楽になっていて体調はよいと思います。病院で他のHHD患者さんとも情報交換をしたり、介助者のWEB交流会などもあって、さまざまな情報を得ることができています。また、うちはリビングルームに機器を置いているので、子供たちと一緒に過ごす時間も多く、本当に生活の一部になっています。充実していますよ。 |
雁瀬 | 療法選択についてはどのようなお考えですか? |
大屋 | そもそも、治療に関して医師からはHDと移植の話しか聞けませんでした。私にとって、CAPDもHHDも導入したきっかけは、他の患者さんや患者会からの情報でした。今はインターネットなどで調べれば情報はいくらでも集められますが、本来は医療者側からの情報提供が重要だと思います。それまでHDに縛られていた患者さんでも、PD(腹膜透析)やHHDにすることで仕事が思う存分できたり、他の活動も十分にできて人生の幅が大きく変わるのではないかと思います。 |
家族の理解と家での治療の良さ
雁瀬 | HHDには介助者であるご家族の存在が欠かせませんね。奥様にご苦労はありませんでしたか? |
大屋 | HHDをやりたいという方はいても、マシントラブルの不安や介助者の確保が大きなネックになっているという報告もあります。現状、HHDの実施には介助者が必須です。私の介助者である家内は医療的には全くの素人ですが、導入前の研修で問題なく実施できたので、家族の理解さえあればどなたでもHHDは可能だと思います。 |
奥様 | HHD導入の頃は子供たちもまだ小さかったので、子供たちとの充実した生活を送ることができ、家族が元気で長生きしてほしいという願いもありました。私が介助をすることでそうした願いを叶えられるので苦労は感じていません。今は、子供たちにこうした親の姿を見て育ってほしいと思っています。介助者の交流会でも苦労や負担感などがよく話題になりますが、私自身はもう当たり前になっています。導入時は慣れない緊張感がありましたが、透析後に彼が「ありがとう」と言ってくれるとそれで報われます。ですから、お互いのコミュニケーションや理解という部分で実感が持てれば、負担感があっても吹き飛んでしまうと思います。 |
インタビューを終えて
伺ったご自宅には、常に全力で生きる大屋さんとそれを支えるご家族の、忙しくも温かい、「治療と暮らす生活」が溢れていました。腎臓病になったことを悲観するより、今までの選択を誇りに思っていらっしゃるお話に清々しさと潔さを感じました。
雁瀬美佐