体験談 / 一病息災 Vol.59(2011年10月号)

腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
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糸 修 さん(いと おさむ:1960年生まれ)

腎臓より先に心臓が悲鳴。運良く命拾いし、今は透析導入で元気に!
1960年生まれ。2歳のときタンパク尿を指摘され、高校時代の腎生検でメサンギウム増殖性腎炎との診断を受ける。その後長年タンパク+2をキープしていたが、2003年に大動脈解離を発症して悪化、2006年に血液ろ過透析を導入。現在は自営業の傍ら東腎協の事務局員として活躍。3人の子どもと一緒に暮らしている。

患者さんの体験談~一病息災~ vol.59

自営業の傍ら、東京腎臓病協議会(東腎協)に週3日勤務している糸 修さん。2歳でタンパク尿を指摘され、入院治療や定期的な通院により40年にわたってタンパク尿+2~+3をキープ。ところが8年前の大動脈解離で腎機能が一気に悪化。5年前から血液透析(血液ろ過透析、オンラインHDF)を導入されています。JR山手線大塚駅近くの事務局でお話を伺いました。

高校2年の終わりに腎生検。「透析にはならないだろう」と言われて

松村 “糸”という名字はめずらしいですね。ご出身はどちらなのですか。
奄美大島の下にある徳之島です。昭和35年の生まれで51歳になりますが、中学を卒業するまで徳之島で暮らしていました。卒業後は下宿をして奄美大島の高校に通い、大学は鹿児島市にある経済大学へ進学したのですが、やりたいこととは違うと感じて中退し、東京に出て日本電子専門学校に入りました。ですが、バイトだけでは学費が払えず、そこも辞めてデーターレコーダーを扱う会社に入社し、10年ほど勤務したのちに独立して、電子機器の組み立てなどの仕事を請け負っていました。
松村 徳之島から奄美大島、鹿児島を経て、東京に出てこられたのですね。いつ、腎臓が悪いことがわかったのですか。
2歳の頃です。乳幼児健診でタンパク尿を指摘され、黄疸も出ていて、半年ぐらい家の中で安静にしていたそうです。母からは「大変だった」と聞かされました。
松村 2歳の子を安静にさせるのは、難しかったでしょうね。その後、腎臓は大丈夫でした?
学校検尿でもタンパクが出たり出なかったりで、そんなに悪くはならず、中学までは普通に生活していました。ところが奄美大島では日曜日に下宿対抗で野球やバスケをやっていて、それに駆り出されているうちに腎臓が悪くなったのだと思います。高校1年の夏休みに帰省したときは、目を開けられなくなっていました。
松村 それで受診を?
徳之島で病院に行ったら「腎臓が悪いから、奄美大島に戻って検査するように」と言われ、検査したらタンパクは+3以上で、3カ月入院して、食事療法と薬を服用しました。高校2年の終わりには鹿児島の病院で腎生検を受けたのですが、病名はメサンギウム増殖性腎炎というもので、幸い医師からは「たぶん透析にはならないだろう」と言われました。
松村 ちょっと希望が持てましたね。
そうですね。その病院には人工透析の施設があり、はじめて透析を見ましたし、同じ年頃の子や年下の子も透析していて驚きました。

長年、腎臓は小康状態をキープ。大動脈解離を起こし一気に悪化

松村 上京後も通院は続けていたのですか。
鹿児島の先生に紹介してもらい、東京でも定期的に通院していたのですが、1年後その先生が転勤することになり、立川相互病院の小泉先生を紹介していただきました。それ以来小泉先生はずっと私の主治医で、30年以上のお付き合いになります。
松村 ずいぶん長いですね。その後腎臓は?
クレアチニン値は覚えていないのですが、長年タンパク+2ぐらいをキープしていました。
松村 それはすごい。食事療法もしていたのですか。
食事療法はほとんどやっていませんが、塩分だけは気をつけていました。ずっと数値も安定していたので、自分でもこのまま透析することなくいけるだろうと思っていたのですが、今から5年前の2006年7月、46歳のときに血液透析を導入することになりました。
松村 ということは、急激に腎臓が悪化してしまったのですね。原因は何だったのですか。
大動脈解離だと思います。透析を導入する3年前のことですが、それから腎臓が一気に悪くなりました。
松村 腎臓より先に心臓のまわりの血管が悲鳴を上げてしまったのですね。大動脈解離は心筋梗塞と同じように、死に至るケースもありますね。
じつは私も危なかったのです。もともと血圧が高かったのですが、仕事が忙しく10日ほど通院が遅れていました。あと1週間もすれば仕事が落ち着くので、それから病院へ行こうと思っていた矢先、車を運転している最中に突然胃から背中に突き抜ける痛みが走りました。本能的に「やばい」と思って車を止め、車を出たところで気を失ってしまいました。幸い、通りがかりの2トントラックの運転手が声を掛けてくれて意識を取り戻し、とにかく救急車を呼んでくれと頼みました。
松村 よくそこで意識が戻りましたね。
倒れて横になっていたのがよかったと思います。座ったままだったら、血液が上がってこなくて意識が戻らなかったでしょうね。
松村 運がよかった。救急車がきてからは?
診察カードを持っていたので立川相互病院に運ばれましたが、手術が必要ということで、心臓血管外科のある都立府中病院へ搬送されました。そこは1カ月前に開科されたばかりで、それまでは府中病院よりも遠い病院に搬送されていたようですが、もしその病院に搬送されていたら、「時間的に間に合わなかった」と言われました。
松村 命拾いしましたね。糸さんはついている。
そういう意味では、ついていると思いますね。すぐに緊急手術が行われ、13時間に及ぶ輸血や5回の緊急透析を受け、その後3カ月入院しました。先生方に尽力していただいたお蔭で、そのあと腎臓が3年も保ったのだと思います。
松村 普通なら緊急手術を受けた時点で透析導入になっているでしょうに。新設されたばかりの科で、先生方も頑張ってくださったのでしょうネ。

5年前に血液ろ過透析導入。「想像以上に体が楽になった」

松村 ご家族もさぞ心配されたでしょうね。
父親が徳之島から出てきてくれました。ただ無事退院できたとはいえ、1日おきに通院して点滴を受けている状態で、仕事をすることもできませんでした。妻は病院のヘルパーをして家計を支えてくれましたが、疲れていましたし、不安になったのだと思います。「一生あなたの面倒をみてあげることはできない」と言われ、離婚することになりました。
松村 いまの糸さんは、こんなにお元気なのに。
当時を思えば仕方がないです。体重も今より20キロも少なく、自分でも「寝たきりになるかもしれない」と思っていました。
松村 お子さんたちは奥様のほうに?
当時(8年前)、長女は16歳、長男13歳、二男10歳で、どちらにいくかを子どもたちに選ばせたのですが、長女が「私たちがお母さんのところに行ったら、お父さんはこのまま死んじゃいそう」と言って、3人とも私のほうに残ってくれました。
松村 うれしい言葉。「よし、頑張ろう」という気にもなりますね。
うーん、頑張ろうというよりは、「なるようにしかならない」という感じでしたね(笑)。
松村 生活費はどうされていたのですか。
1日おきの通院は3~4カ月ほど続きましたが、その後は体調も少しずつよくなり、電子回路の回路図やビルの設計図の下書きなど、パソコンでできる仕事を請けていました。いずれも若いころ働いていた会社で習得したものですが、こんなに役立つとは思っていませんでしたね。
松村 手に職があって、本当によかったですね。
その一方で腎臓はどんどん悪化していき、2005年の暮れにはクレアチニン値が12まで上がって、動悸がひどく、10メートル歩いたら休むという状態でした。私は透析すれば元気になるのを知っていたので、「先生、そろそろ透析ですよね」と喜んで病院に行ったのですが、「君は体力があるから、もう少し頑張れ」と言われ、そのうち13、14、15と上がり、「先生、さすがにもうだめです」ということで、半年後やっと透析を導入してもらいました。 先生にお願いして、透析を導入してもらいました。
先生にお願いして、透析を導入してもらいました。
松村 医師に透析を勧められても、「死んでもしたくない」という患者さんが多いなか、糸さんの場合は逆ですね(笑)。ちなみに腹膜透析は考えなかったのですか。 透析導入を嫌がる患者さんが多いなか、糸さんは逆ですね。
透析導入を嫌がる患者さんが多いなか、糸さんは逆ですね。
自分としては腹膜透析を希望していたのですが、体が大きくてまかないきれないとのことでした。
松村 実際に透析を導入していかがです?
想像していた以上に体が楽になりました。先生から「オンラインHDF(血液ろ過透析)をやってみないか」というお話をいただき、HD(血液透析)よりもきれいに毒素が抜けると聞いて、すぐに飛びつきました。これまでにトラブルもなく順調です。
松村 オンラインHDFは血液透析と血液ろ過の特徴を併せ持った幅広い除去ができる治療法で、HDよりも体にやさしいといわれていますね。東腎協(東京腎臓病協議会)のお手伝いをするようになったのも、透析を導入してから?
はい。家での仕事の傍ら、週3日東腎協に通っています。会報誌の撮影などもしているのですが、撮られる側になると緊張しますね。
松村 これからやりたいこと、夢などはありますか。
一番下の子は専門学校に通っているのですが、その子が卒業したら親の役目も終わるので、その後は新しい出会いというか、人生のパートナーを得ることができたらいいなと思っています(笑)。

インタビューを終えて

東腎協は事務局長・小関盛通さんの取材(「そらまめ通信」VOL.28)以来、5年ぶりの訪問でした。糸さんは看護師長から“ダイエット”を命じられているそうですが、隣の席の方も大柄らしく、「二人並んで座っていると相撲部屋みたい」という女性局員の一言に一同大笑い。糸さんみたいにハートがイケメンな男性なら、きっと素的なパートナーが現れますよ。

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