体験談 / 一病息災 Vol.62(2012年4月号)

腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
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辺見 加代子 さん(へんみ かよこ:1955年生まれ)

透析をしていても、前へ前へと進んで行かなくては
1955年生まれ。先天的に左の腎臓が小さく、腎不全に。1996年腹膜透析(CAPD)を開始。2003年から2年半の施設透析を経て、2006年から在宅血液透析を始め、今に至る。趣味のビーズ織りは師範級で、講習会や展示会も開催している。

患者さんの体験談~一病息災~ vol.62

お人形を作っているうちにいろいろなものと出会い、世界がどんどん広がりました

腹膜透析(CAPD)、施設血液透析、在宅透析と17年間の透析生活を送りながら、常に前向きで、アクティブな辺見加代子さん。ヨーロッパのアンティーク・ドールに魅せられたことがきっかけで、ビーズ織りを学んで人に教えるまでに。

透析を始めたら体も軽くなり走ったりもできるように

松村 もともとのご病気はなんだったのですか?
辺見 生まれつき左の腎臓が小さかったんです。17歳でタンパク尿が見つかり、21歳まで検査入院を繰り返しましたが、その後はまったく何も無くなり、元気にしてました。
松村 それがいつごろから悪くなられたのですか?
辺見 25歳で結婚して、子どもは産めないと言われていたのにスグに妊娠。その時は尿毒症になったりして大変でした。どうにか自然分娩で娘を出産しました。
松村 出産後はいかがでしたか?
辺見 元気だったので娘が小学校に行く頃から、貿易事務の仕事を派遣で再開しました。アンティーク・ドールの作り方を習い始めたのもこの頃です。それが38歳のときに不整脈で血圧が高くなり、貧血が続いて動けなくなりました。
松村 透析導入の最初はCAPDになさったのでしたね。
辺見 シャントの手術に失敗したんです。それも2回も。血管が細いらしいです。様々な方から助言をいただいて、CAPDのことを知り「失敗なくすぐにできる」というので、覚悟を決めました。 ビーズ織りでポピーの可憐さを表現
ビーズ織りでポピーの可憐さを表現
松村 透析を始めてどうでしたか?
辺見 体が軽くなり、走ったりもできるようになりました。透析を導入して10ヶ月後には娘と一緒に北海道へスキーに行きました。

人形作りに魅せられてヨーロッパの旅へ

松村 仕事はどうなさいました?
辺見 続けたかったのですけど、その頃はまだ透析をしながら働ける環境が少なくて。でもその代わりに趣味の人形作りやビーズ織り、海外旅行にも行くことができました。    「全然難しくないの、誰だってできるし、何かあれば中止をして翌日にすればいいのよ」と辺見さん
「全然難しくないの、誰だってできるし、何かあれば中止をして翌日にすればいいのよ」と辺見さん
松村 旅行会社のパックツアーを利用したのですか?
辺見 透析をしていたので、ツアーには参加できませんでした。全部自分で計画をたてるのは大変でしたが、かえって自由に予定が組めて良かったです。好きなところに行って、気に入ったら連泊したりしてました。
松村 どんなところへ行かれたのですか?
辺見 ロンドン、パリ、ミラノ、フィレンツェ。アンティーク・ドールを作っていると、洋服の生地でもレースでも、古いものが欲しくなるんです。でも日本では高価で手が出ませんが、アンティーク・ドール発祥の地ヨーロッパだと手頃な値段で手に入るんです。
松村 いろいろと調べてから行かれるのでしょ?
辺見 人形作りのお友達が教えてくれるんです。ノミの市でレースやビーズを見て歩いたり、アンティーク・ショップではたくさんのアンティーク・ドールとの出会いがありました。人形のハンドバッグを作りたくてビーズ織りを始めたのですが、ベネチアン・ガラスのビーズを求めてベネチアにも行きました。帰国するとすぐに次の計画をたてて、5年程は年に1~2回、時間の制約のない自由な旅を楽しみました。
松村 旅行先での透析はどのようにしていました?
辺見 CAPDのバックは、娘と2人で50kgを持って行きました。事前に航空会社に説明して飛行機の中でも透析しましたし、毎日、朝、昼、晩と3回、ホテルでしました。
松村 トラブルがあったらとか、言葉の問題とか、心配はありませんでしたか?
辺見 言葉はできないんですが、全然問題ありませんでした。CAPDのメーカーが、何かあったときのためにホテルの近くに病院を確保してくれていたので、まったく心配することなくエンジョイできました。

CAPDから病院での血液透析へ、そして今は在宅透析で幸せ

松村 施設血液透析に変えたのは?
辺見 CAPDを初めて7年半ほど過ぎると、貧血がひどくなって、輸血をしたり、体が重くて階段もやっと、お箸すら重たくて。
松村 CAPDでは水や毒素が抜けきれなくなっていたのですね。
辺見 ええ、それで病院での施設血液透析に変えました。このときの透析で自分の体がどう反応するかを、身をもって実感しました。 ピンクのテディベアもビーズ織りで
ピンクのテディベアもビーズ織りで
松村 在宅透析に変えたのはどうしてですか?
辺見 病院まで遠くて大変だったんです。そんな時に大腎協の講演会で在宅透析のことを知りました。自分の都合に合わせてできるうえ、透析効率もよく、貧血も改善されるというのですから、夢のようだと思いました。
松村 穿刺は始めからご自分で?
辺見 ボタンホール希望でしたが、当初は自分で穿刺ができなくて、何度も自宅に看護師の方に来て頂きました。でもだんだん慣れてできるようになりました。
※ボタンホール穿刺:同じ穿刺位置に毎回穿刺し続けて、ボタンホールを形成する方法で、楽な穿刺ができる。
松村 今はどの程度の透析をしているのですか?
辺見 毎日ほぼ3時間です。午後7時くらいから10時くらいまで。毎日透析するので、毒素の除去率もよく、身体の調子もよくなり、外出も苦にならないし、ストレスも少なくなりました。
松村 透析が生活の一部になっているのですネ。ほかには?
辺見 月4回自宅でビーズ織りを教えています。それから作りかけの人形を完成させてあげたくて、アンティーク・ドールの師範クラスにも通っています。友達と夕食に行ったりして透析をさぼることもありますが、そんなときは翌朝苦しくなって早朝から透析をするんです。それができるのが在宅透析の良いところです。
松村 これからやりたいことは?
辺見 CAPDの頃のように、もっと自由に海外旅行に行ければいいなぁ~と思います。早くポータブルの透析器機が使える時代になればいいのにと思っています。
松村 ポータブルができたらそれを持ってロンドンですか(笑) 私も辺見さんに弟子入りして、ビーズ織りをやりたくなりました。
私も辺見さんに弟子入りして、ビーズ織りをやりたくなりました。

インタビューを終えて

風邪の治りかけの時におじゃましたので早めに切りあげなければと思いながら、ついつい話しがはずみ、辺見さんの人形やビーズにかける情熱、前向きな発想のお話しに引き込まれ、長居をしてしまいました。健常者でも、これだけ積極的に生きている人ってどれだけいるだろうと思いました。

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