体験談 / 一病息災 Vol.66(2012年12月号)
腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
(職業や治療法は、取材当時のものです)
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- HD
中村 龍史 さん(なかむら りょうじ:1951年生まれ)
マッスルミュージカルの演出家は、透析しながら飛び跳ねていた。本の出版と同時に公表、周囲に透析を悟られず15年!!
1951年生まれ。劇団四季研究所を経て役者に。81年、コンサートの構成・演出・振りつけを手掛ける演出家としてデビュー。松任谷由実をはじめ多くの歌手の公演のほか、国体から演劇の作・演出、特にマッスルミュージカル(運動選手を使ってのパフォーマンス)は、国内外公演を成功させ、観客に明日への活力と笑いを届けている。
遺伝性の多発性嚢胞腎がもとで1997年に腹膜透析を導入、その後HDに移行。透析歴15年。
遺伝性の多発性嚢胞腎がもとで1997年に腹膜透析を導入、その後HDに移行。透析歴15年。
一流エンターテイナーを育て、日本のオリジナルを世界に発信したい
マッスル(筋肉)ミュージカルの演出家として知られる中村龍史さんが、透析をしていたなんて?!多発性嚢胞腎で透析を導入してからも、国体の開会式や芝居・ミュージカルの演出など奥様と二人三脚で、多忙な仕事をこなしてきました。その悪戦苦闘ぶりを伺いました。
15年間、透析を知らせずに仕事を
松村 | 9月に著書「満身ソウイ工夫」を出版され、初めて透析していることを公表されたんですね。 | ||
中村 | ええ、透析しながら演出家として働いてきた、自伝みたいなものなので。 | ||
松村 | 腹膜透析のチューブがお腹から出ているご自分をチューブマンといったり、笑いが散りばめられていますね。 | ||
中村 | ただの闘病記にはしたくなかったんです。演出家というのは人を元気にするのが仕事なので、悪戦苦闘している姿を、あまり苦しそうじゃなく、同じ病気の人が、「あっ、こんな馬鹿なヤツもいるんだ!」と、笑って、元気を出してくれるといいと思って。 | ||
松村 | 透析をしていることは、舞台関係者の方もこの本で初めて知ったそうですね。 | ||
中村 | そうなんです。いつも元気で怒鳴って演出しているので、「透析なんて大変」というイメージを持たれるのが嫌で。余計なことをみんなに感じさせたくなかったんですね。 | ||
松村 | それがどうして? | ||
中村 | 昨年還暦を迎え、今年は透析を始めて15年なので、そろそろいいかなと思って。 | ||
松村 | ずっと奥様と二人三脚で? | ||
中村 |
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松村 | 支えられているのがよく分かりますよ。本当にかけがえのないパートナーなんですね。 |
九死に一生を得て、新たな境地が開ける
松村 | 透析を始められたのは? | |
中村 | 1997年の12月です。12年間はAPD(寝ている間に器械を使って自動的におこなう腹膜透析)で、2009年秋からHD(血液透析)、合わせて15年になります。 | 練習中にチューブがお腹の下まで降りてきて慌てたこともありました |
松村 | もともとのご病気は? | |
中村 | 多発性嚢胞腎で、遺伝です。親父も透析をしていて、お袋も同じ病気で。叔父二人、叔母一人が透析。姉も透析歴32年と、透析一家なんです。 | |
松村 | では、透析になることは覚悟してらしたんですね。 | |
中村 | そうですね。20代後半に、その頃は役者をしていましたが、クレアチニンが1.7になって、ああ、やっぱり俺もダメなんだと思いました。 | |
松村 | 最初にAPDにしたのは? | |
中村 | 僕の仕事は舞台の演出で、場所も時間も不規則なので、自宅でできる腹膜透析を選びました。APDが出たばかりで、迷わずAPDにしました。 | |
松村 | 毎晩、何時間ぐらい? | |
中村 | 最初は7時間くらいでしたけど、僕の仕事は体力を使いますから、楽に仕事ができるように、13時間に変えました。 | |
松村 | 腹膜炎とかトラブルが起きたことはなかったですか? | |
中村 | 腹膜炎はないですけど、一度、ニューヨークで倒れたことがあります。 | |
松村 | いつですか? | |
中村 | 2000年の夏。僕は毎年ニューヨークに行って、本場のミュージカルを観たり、友達に会うのですが、 | |
松村 | お仕事柄ですね。 | |
中村 | ええ、その頃はすごく忙しく、血圧も高かったんですけど、どうしても行きたくて、無理して行ったんです。そしたら、向こうはすごく寒くて、 | |
松村 | 夏なのに? | |
中村 | 劇場の冷房が。それで風邪をひいて、目がフラッシュするみたいにかすんできたんです。 | |
松村 | 血圧が上がりすぎて、視神経を圧迫したんですね。 | |
中村 | 意識が無くなり、ER(救命救急室)に担ぎ込まれました。目が覚めたときは、まるっきり目が見えなくなって。 | |
松村 | そのとき、奥様は? | |
中村 | 僕があんまりイライラしてたからでしょうか、本を読んでくれたんです。そしたら、すごく心が安らいで……朗読の力ってすごいですね。 | |
松村 | それで朗読劇「天国の本屋」の演出をなさったんですか? | |
中村 | 偶然なんですが、帰国してすぐにいただいた仕事でした。不思議な縁を感じました。それ以来、仕事の仕方も、面白いだけでなく、丁寧にするようになりましたね。 |
超多忙な日々を長時間APDで頑張った
松村 | マッスル・ミュージカルはその後ですか? | ||
中村 | そうです。 | ||
松村 | 舞台を拝見して、ビックリしました、激しくて。これ透析している方のかしらって。しかもすごく忙しかったでしょう? | ||
中村 |
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松村 | それでAPDは毎日13時間、きちんとできたのですか? | ||
中村 | 無理矢理でも、13時間は確保しました。だから何とか保ったんですね、あれだけ激しい動きをしても。 |
家庭透析を導入して若い人を育てたい
松村 | APDは何年くらい? |
中村 | 12年もちました。2010年からHDに変え、今はクリニックで週3回4時間しています。 |
松村 | HDに変えてどうでしたか? |
中村 | 最初は順調でしたけど、そのうち血圧が下がって、安定するまで大変でした。 |
松村 | しかもすごいペースでお仕事してますよね。初めて劇団も立ち上げられたとか? |
中村 | 2008年にマッスルを辞めたんですが、20人くらいのメンバーがついてきちゃったので。 |
松村 | 中村さんを慕って? |
中村 | さあ? 給料を払えるわけじゃないので、バイトをしてでも頑張りたいという人だけが残り、今は11人になりました。 |
松村 | 奥様はなんと? |
中村 | 「アスリートとして一流なだけでは、年をとったら困る。1人前の役者に育てなくては」、といっています。 |
松村 | そうですね、それで成果は出てますか? |
中村 | 歌が歌え、楽器ができて、動ける役者を目指しています。今5年目で、やっと少しできてきたかなって感じですね。 |
松村 | そのうち引っ張りだこになるんじゃないですか? |
中村 | そうなってくれないと困るんですけどね。一流のエンターテイナーを育てて、日本のオリジナルを次々と世界に発信するのが夢なんです。 |
松村 | まだまだ、これからも透析との両立は大変ですね。 |
中村 | ええ、それで今は家 庭透析を検討しています、毎日好きな時間に透析できるように。「中村JAPANドラマティックカンパニー」はこれからですから。 |
『満身ソウイ工夫』
頑張りすぎない人工透析との闘い方
定価:1,050円
※本の問いあわせ先:オフィスひらめ
TEL:03(3439)3623