体験談 / 一病息災 Vol.74(2014年4月号)

腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
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南 健二 さん 笑子 さん(みなみ けんじ:1945年生まれ、ペンション経営、カメラマン、しょうこ(奥様))

脳溢血と腎不全、大病を乗り越え仕事も遊びも、健康も、腎移植で分かち合うカメラマンご夫妻
1945年生まれ。大学卒業後に新聞社にカメラマンとして勤務。1978年、田舎暮らしに憧れ、夫婦二人で黒姫でペンション開業。黒姫でC・W・ニコル氏と出会い、その活動を撮り続けている。1986年IgA腎症と診断。2004年脳溢血を発症。2010年8月血液透析導入。2011年1月、奥様の笑子さんから腎臓を提供され移植。

患者さんの体験談~一病息災~ vol.74

一生、透析するものと思っていたのが友人の一言で夫婦間移植に踏み切り、人生をエンジョイ!

新聞社のカメラマンを経て、長野県黒姫高原でのペンション経営に転じた南健二さん。1986年にIgA腎症と診断され、2004年には脳溢血で倒れて左半身(左手)に麻痺が残り、その後2010年に透析を開始。透析直前から移植を考え、奥様の笑子さんから提供を受けて腎移植をなさいました。今回は腎臓を提供なさった奥様とともにお話を伺いました。

透析導入直前、血液型が違う腎移植も可能と知った

松村 奥様からの提供で腎移植をなさったとのことですが、奥様からいい出されたのですか?
そうです。僕は血液型がB型で妻はO型なんで、最初は血液型が違うと移植はできないと思っていたので、血液透析をずっと続けるものと思っていました。透析のガイドブックにも、移植についてはちょっとしか書いてないし、血液型が違っても移植できるなんて知りませんでした。
松村 それで奥様はどうして腎臓をあげようと?
笑子 透析を始める1週間くらい前に、友人から「あなたの腎臓をあげれば」といわれたんです。その方の知り合いには夫婦間の腎移植で元気にしている方が何人かいらっしゃるとかで、「簡単だよ、ドナーは術後すぐに買い物に行けるくらい軽い」というので。費用もそんなにかからないことも知りましたし。
松村 では、透析前に移植を決心していたのですか?
ええ、透析初日に、「移植したい」と伝えたら、ドクターもびっくりしてました。
松村 移植までどのくらいで?
2010年8月初めに透析を導入し、9月から二人で移植に必要な検査を開始、翌1月13日に手術しました。
松村 手術はどうでしたか?
僕はほとんど問題なく、入院中も仕事をしていました。驚いたことにそれまで9以上だったクレアチニン値が1.3と格段に良くなりました。 腎移植後、クレアチニンは急激に下がっている

腎移植後、クレアチニンは急激に下がっている

松村 奥様は?
笑子 手術に7時間もかかって、
松村 長いですね。腹腔鏡での摘出手術でしょ。
* 腹腔鏡:最初に小さな穴を開けて腹腔鏡(内視鏡)を挿入し、観察しながら穴を開け腎臓を摘出する手術。
笑子 ええ、穴を3つ開けて9センチ開きました。とても痛くて、すぐには歩くこともできず、3日ほど車イスで買い物なんてとても無理でした。ちょうど東日本大震災が起き、そのせいもあってか、退院しても鬱々としていました。
松村 あのときは元気な人でも落ち込みましたものね。
笑子 これはまずいと思い、二人で太極拳を始めたんです。週1回、少しお洒落をして長野市まで出かけ、体を動かしたことが良かったのか、やっと元気になれました。
松村 腎移植のドナーになるって、そんなに簡単なものではなかったんですね。
僕が66歳、妻が65歳でしたから。もっと若いころだったら軽くすんだのかもしれません。透析期間が長くなると移植は大変だと聞いたので、ギリギリのところで移植できたことは、幸運でした。

仕事も遊びも家族そろって楽しむ!

松村 お仕事は始めからカメラマンですか?
最初は新聞社でカメラマンをしていました。ベトナム戦争や学生運動が盛んなころで、やりがいはあったのですが、田舎暮らしに憧れて黒姫高原でペンションを始めました。 愛機とともに、黒姫の自然を切り撮り続ける

愛機とともに、黒姫の自然を切り撮り続ける

松村 せっかく新聞社にお入りになったのに?
ええ、カメラは楽しいけど、すごく忙しい職場で。それに出世もしたくなかったし。
松村 そうですか。ペンションのほかに、C・W・ニコルさんと一緒に活動なさっているとか?
* C・W・ニコルさん:ウェールズ生まれ、日本国籍の作家、ナチュラリスト。長野県黒姫在住。
ニコルさんがペンションに食事に来られて、一緒に酒を飲んで意気投合し、「健二が写真を撮って僕が書いて故郷を伝えよう」と、一緒に仕事をするようになりました。
松村 今でもご一緒に?
ええ、35年になります。雑誌の連載とか、ずいぶん一緒にやっています。
松村 最近では?
来日50年記念にニコルさんの写真に俳人・山頭火の俳句をつけた本を出版しました。ほかにスペイン人の神父さんが作るスペイン料理の本や鹿肉のレシピ本なども出しましたが、笑子も一緒に作るんですよ。

パートナーとして人生も健康も分かち合う

松村 ご家族で海外旅行にもよく行かれるそうですね?
新聞社のときの同期が香港にいたのでたびたび行きました。透析になったら行けなくなると、スペインやイタリアにも家族で行きました。移植のおかげでどこでも行けるようになったら、娘たちからは、「騙された」といわれてます(笑)。
松村 旅行のときはペンションはお休みですか?
笑子 ええ、でもホリデーシーズンは閉めるわけにはいかないので、旅行はそれを避けて。だから子供たちは学校を休んで、みんなで出かけるんです。ペンションは30年続けたんですけど、2008年に閉めました。
松村 移植した腎が長持ちするよう、何か節制はしてらっしゃいますか?
低たんぱく米は止めました。特別なことはしてませんが節制はしています。暴飲暴食はしない、酒は1日おき、早寝早起き、毎日昼寝をするとかね。料理は僕が作るんですけど、すき焼きとかしゃぶしゃぶとか、ご馳走が多くなったかもしれません。
笑子 実は、主人は10年前に脳溢血で倒れて麻痺の後遺症があるんです。それで私が爪を切ってあげるんですけど、食事制限をしていたころの爪はすごく柔らかかったのが、移植してからは堅くて綺麗な爪になったんですよ。
松村 たんぱく質で爪がそんなに違うんですか。奥様は手術後はどうですか?
笑子 今でも傷が痛むし、お腹がへっこまなくなって検査をしてもらったのですが、問題ないということなんです。体調が悪いと突っ張る感じがするし、寒さが応えて辛いです。
松村 ドナーの方が後遺症で痛みが残るなんて初めて聞きました。では提供しなければよかったなんて、後悔することもありますか?
笑子 それはないです。私にすれば、あげるのが当然だし、良かったと思っています。
松村
愛の力ですね。 大変だったことを思い出し、今は元気なことに感謝!

大変だったことを思い出し、
今は元気なことに感謝!

笑子 私たちはずっと家族で遊んできたんですけど、脳溢血の後遺症があって、その上に透析になったら一緒に遊べなくなるじゃないですか。グループの一人が欠けると淋しいでしょ。だから元気でいてくれないと困るんです。
松村 ちょっと痛くても一緒に遊べる方がいい?
僕たちは、ペンションも本の仕事も、遊びも全て一緒にやってきました。夫婦というよりも、仕事仲間という感じなんで、一人欠けると困るんですよネ。
笑子 ええ、同志なんですから。
松村 なるほど、かけがえのないパートナーなんですね。

インタビューを終えて

素敵なご夫婦で、人生をエンジョイしていらっしゃるのがよく分かりました。でも、その裏には、長野の厳しい自然のなかでのペンション経営や、たびたび降りかかる病気など、大変なご苦労があったんですね。だからこそ堅い絆で結ばれているのでしょう。ご夫婦そろって、移植の素晴らしさを一人でも多くの腎不全の方に伝えたいといっておられました。ただ、それは決してイージーなものではなく、しっかりと調べ、覚悟を決めて実行してほしいとのことでした。大自然に包まれて素敵な時間を、今後ともお過ごしくださいネ。

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