腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
鈴木 昌弘 さん(すずき まさひろ:1953年生まれ、パン工場勤務)
夢は、キャンピングカーでPDしながらの日本一周釣り行脚!
昭和28年8月生まれ、61歳。調理師。40代で高血圧と診断され家業の蕎麦屋を閉店。以来、パン工場に勤務しながら病名不明のまま降圧剤治療を続ける。たまたま腎臓内科の受診を勧められ転院するが、すでに腎不全が進行しており、2013年2月より腹膜透析導入。夜勤という勤務体制や調理師の腕を活かし、創意工夫した食事を毎日楽しんでいる。
なったらなったで仕方ない、一生つきあうんだから、ダメだと思うより、何とかしたいな
パン工場で夜勤をしている鈴木昌弘さんは、もとはお蕎麦屋さんで調理師。高血圧が悪化したために閉店しなければならなくなり、減塩生活を始めました。約10年の降圧治療にもかかわらず腎臓が悪いことが見落とされ、発見されたときはすでに腎不全が進行してしまっていました。でも持ち前の前向き志向で闘病生活を楽しみに変え、新しい夢に向かって毎日を過ごしておられます。
腎臓内科がない病院でCKDを見逃し10年
松村 |
病気がわかったのはいつですか? |
鈴木 |
1999年(平成11年)。運転中に対向車のライトがあまりにもまぶしいから眼科にいったら、高血圧だといわれて検査入院したんだ。 |
松村 |
どのくらい入院したのですか? |
鈴木 |
2ヶ月。だけど高血圧の薬だけで、特に治療もないから退院しちゃった。 |
松村 |
血液検査はしなかったのですか? |
鈴木 |
検査では、血圧と腎臓、痛風、糖尿とか出ていたらしいんだけど、高血圧が原因だから、血圧を下げるようにいわれただけだった。 |
松村 |
では、その後の治療は? |
鈴木 |
通院しながら高血圧の薬を飲んで、減塩は注意していたんだけど、そのまま10年くらいたったかな。そしたら担当の先生が辞めてしまって、たまたま大学病院から来ていた先生が診てくれて、「腎臓内科を受診したほうがいい」といわれたんだ。 |
松村 |
それで腎臓内科に? |
鈴木 |
いや、気にはなっていたんだけど、腎臓内科がどこにあるかわからなくてさ。 |
松村 |
それでどうしたんですか? |
鈴木 |
2012年の正月に胃潰瘍で入院したんだ。12月31日に下血して、救急車を呼ぶほどでもないと思ったから、次の日、元旦に自分で消防署に行ってどこの病院がいいか聞いてみたの。ほかの病院で診てもらうのもよいかと思ってさ。それで、みさと健和病院を紹介されて、即入院。 |
松村 |
それは大変でしたね。 |
鈴木 |
1週間くらい入院したんだけど、その時に腎臓内科があるか聞いてみたんだ。あるというから、退院してから前の病院で紹介状を書いてもらって、診てもらうことになった。 |
仕事を続けるために腹膜透析を選択
松村 |
しっかり腎臓を診てくださる病院だったんですね。先生はどなたですか? |
鈴木 |
松山公彦先生だったけど、最初から、かなり悪くなっていたってさ。 |
松村 |
それで透析はいつから? |
鈴木 |
2013年の正月にクレアチニンが6.99で、「シャントを作りましょう」といわれた。 |
松村 |
そこからは進行が速いので、そろそろ準備をしなくてはね。それでシャントを作ったんですか? |
鈴木 |
ううん、作らなかった。透析しているところを見学に行ったんだけど、そこで看護師さんに「透析だと、仕事を辞めなくちゃダメかな?」と聞いたら、「いや、腹膜透析だったら仕事続けられるよ」っていわれて。 |
松村 |
血液透析だけでなく、腹膜透析も選べたんですね。 |
鈴木 |
そう、それで、そらまめ教室という説明会に参加して腹膜透析を見学したの。仕事が続けられるなら、腹膜透析のほうがいいなと思った。 |
松村 |
お仕事はなにを? |
鈴木 |
前は蕎麦屋をやっていたんだけど、高血圧で入院したりして店は閉めちゃったから、その後はパン工場に勤めてる。 |
松村 |
透析を導入して、お仕事に何か影響がでましたか? |
鈴木 |
全然。夜勤専門なんだけど、透析を始めても何も変わらない。 |
松村 |
夜勤というと、夜のお仕事? |
鈴木 |
夜9時から朝9時まで。昼間との交代制でもいいんだけど、自分は夜勤だけのほうが楽だから、そうして貰ってる。だから普通の人とは逆で、仕事が終わって午前10時くらいに食事をして、それから寝ている間に午後7時くらいまで透析をして、起きて食事をして仕事に行くという毎日だね。 |
松村 |
寝ている間にということはAPDですね。
*APD:寝ている間に器械を使って自動的に腹膜透析をおこなう方法(Automated Pertioneal Dialysis)
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病気とのつき合いを楽しみに変える
松村 |
特に気にしていることはありますか? |
鈴木 |
毎回の検査結果はきちんと見るようにしているね。それによって食事の内容や量を変えたりするんだ。 |
わからないことは聞きながら、ドクターや看護師さんに支えられ治療に励む |
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松村 |
それは頑張ってますね、でも、検査結果は難しくないですか? |
鈴木 |
とても役に立つよ。だって検査結果でどこがどれだけ悪くなったかがわかれば、その時に何を食べたからだとわかるでしょ。それを治せば、すぐに結果が出るからね。 |
松村 |
分からないことはドクターや看護師さんに聞くんですか? |
鈴木 |
まず薬局かな。今までと違う薬が出たら薬剤師さんに聞いてみる。それでわからないと看護師さんに聞いて、それでもわからなければ先生に聞くけど、たいていは看護師さんまでで解決するね。 |
松村 |
保存期のときより、食事も楽になったのでは? |
鈴木 |
でも食事には気をつかっているよ。もともと調理師で料理は好きだから、いろいろと工夫をしているんだ。というのはね、透析のレシピ本は血液透析用でしょ、PD(腹膜透析)はちょっと違うんだよ。PDではカリウムが抜けちゃうから摂らないといけないし、リンはやっぱり控えないとならないしね。 |
松村 |
具体的にはどんなことを? |
鈴木 |
基本的には塩分とタンパク質をどうやって少なくするかだね。たとえば昨晩は鯖の味噌煮を作ったんだけど、鯖はまず焼いて味がしみないようにして、味噌は半分の量しか使わない。糖分も気をつけているんだけど、この場合はコクを出したいからハチミツを使う。鯖は半身を使ってまとめて作るけど、食べるのは半分で、残りは冷凍保存する。 |
松村 |
作るのはご自分の分だけ? |
鈴木 |
一人暮らしだからね。でも作るときはまとめて作って冷凍保存するんだ。ほうれん草なら買ってきたら一把まとめて茹でて小分けに冷凍して、一食づつチンするんだよ。 |
松村 |
それは賢いですね。 |
鈴木 |
調味料も塩分が少ないものを使うようにしてる。醤油よりソース、ソースでもウスターよりも中濃のほうが塩分が少なくてすむんだ。刺身を食べるときは、醤油をつけるんじゃなく、スプレーするんだ。全体に味がつくけど、量は少なくて済むんだよ。 |
松村 |
そうですか、私もやってみようかしら。 |
鈴木 |
そんないろいろな工夫を、まとめてレシピ集みたいにしたいんだけどね。 |
松村 |
いいですね、管理栄養士さんと相談して、PDのレシピ本、ぜひ作ってくださいよ。 |
腹膜透析の機械を積んで車で日本一周したい!
松村 |
食事を工夫したり、病気とつきあうのも楽しそうですね。 |
鈴木 |
今、一番楽しいのは料理だね。今日は何を変えてみようかとか、趣味みたいにしてる。 |
毎回の検査結果はきちんとファイルして、次にいかす |
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松村 |
それだけ気をつけていると、PDも長く続けられるかもしれませんね。 |
鈴木 |
できるだけ長く続けたいね。今61歳なんだけど、65歳まで仕事をして、退職してから旅行に行きたいと思っているんだ。 |
松村 |
旅行に? |
鈴木 |
そう、軽のキャンピングカーに腹膜透析の機械を積んで、釣りをしながら日本中を周りたいんだ。機械を旅館に送ってもらうこともないし、自分で好きな所に行けるじゃない。 |
松村 |
ステキですね。 |
鈴木 |
血液透析だとちょっと難しいかもしれないけど、腹膜透析ならできると思うんだよ。 |
松村 |
食事にも気をつけているし、その夢は実現する可能性大ですね。 |
鈴木 |
うん、何とか実現させたいと思って、準備中! |
インタビューを終えて
一見、素朴なお人柄とお見受けしたのですが、前向きで緻密なのにびっくりしました。食べるのが大好きで、丼ご飯をおかわりするくらいの大食漢だったそうですが、どうしたら食べる量を減らせるのか、減塩できるのか、タンパク質やカリウム、リンのことまでしっかり考えて工夫しておられ、透析に入ってからも気を抜くことなく続けられているのには感心しました。なによりも、病気とつきあうことを楽しみにしてしまうなんて、すばらしい!PDの料理本も作って欲しいし、「PDしながら日本一周」の夢を実現させて紀行文もぜひ書いてください。
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