体験談 / 一病息災 Vol.77(2014年10月号)
腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
(職業や治療法は、取材当時のものです)
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加藤 みゆき さん(かとう みゆき:1971年生まれ、記念館職員)
10歳でI型糖尿病に。合併症にもめげず、生命を産み、常に前向きに!
1971年生まれ、42歳。10才でI型糖尿病発症。以来、自分でインスリン注射などコントロールをしながら短大を卒業し就職。
23歳で結婚し、25歳で出産。妊娠時の負担もあって30才で透析導入。さまざまな合併症に苦しみながら、38歳で膵腎同時移植。少しでも元気なときはアルバイトやパートでずっと働きながら、闘病と子育て、家庭を両立し、現在に至る。
23歳で結婚し、25歳で出産。妊娠時の負担もあって30才で透析導入。さまざまな合併症に苦しみながら、38歳で膵腎同時移植。少しでも元気なときはアルバイトやパートでずっと働きながら、闘病と子育て、家庭を両立し、現在に至る。
特別扱いされず、いつも健常児と同じように育ったから、楽しく過ごすことができたと思う
膵腎同時移植をした加藤みゆきさんは、障がい者スポーツ大会にも参加する頑張り屋さん。でも、ここまでの道のりは長い病気との闘いでした。10才でI型糖尿病を発病し、25才で命がけで出産。その後も、糖尿病性腎症で透析を導入し、次々と降りかかる合併症に苦しみました。笑いながら明るく話す体験談は、今、多くの若者たちに命の大切さを伝え感銘を与えています。
透析になってもいいから子供を産みたい
松村 | 膵腎同時移植を受けられたそうですが、決まるまでどのくらい待ちました? |
加藤 | 30才で透析になってすぐに登録したんですが、移植したのは38才です。法改正の翌月で、2010年の8月でした。 |
松村 | 膵腎同時ということは、元疾患は糖尿病ですか? |
加藤 | はい、I型糖尿病で10歳のときに発病しました。 |
松村 | それは大変でしたね。でも、若くに結婚して、お子さんもいらっしゃるんですよね。 |
加藤 | はい、糖尿病だと子供が産めなくなると聞いたので、23才で結婚して、25才で息子を授かりました。 |
松村 | お産の時に腎臓が悪くなったと聞きましたが? |
加藤 | ええ、妊娠したら急に具合が悪くなり、4ヶ月で検査入院。「腎臓がかなり悪く、将来は透析」といわれました。 |
松村 | お子さんを諦めれば透析にならないといわれました? |
加藤 | いえ、「透析を逃れることはできないけど、透析になるのが早くなっても、産みたいよね?」と聞かれて、「生みたいです」って答えたんです。 |
松村 | 迷わず、お子さんを産むほうを選んだんですね? |
加藤 | 迷いませんでした。 |
松村 | 妊娠中はどのように過ごしていましたか? |
加藤 | 「生まれるまで帰せない」と退院できませんでした。血中のタンパクがどんどん下がって子供が成長できないので、腎臓に悪いのは分かっていても高たんぱく食を続けましたけど、それでも足りなくて。 |
松村 | じゃ、どんどん透析への道を? |
加藤 | まっしぐらでした。あのときは「この子を産まなきゃ」だけで、自分のことは何も考えませんでした。でも24週で動けなく寝たきりになり、25週で肺に水が溜まってもう無理と、帝王切開で646gの男の子を産みました。 |
松村 | ずいぶん小さくて。妊娠期間は普通40週くらいでしょ。透析はしなかったんですか? |
加藤 | しませんでした。今考えると、透析をしながらだったら、もっと大きくお腹で育ててから産むこともできただろうと思いますけど。おかげさまで子供を抱いて家に帰ることができて感謝しています。 |
次々と襲いかかる合併症辛かった……
松村 |
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加藤 | いえ、5年後です。自分のことながらびっくりしちゃうんですけど、あんな小さな赤ちゃんがそれだけ母親の腎臓を使うんだって。というのも、帝王切開で子供を出したら、溜まっていた水が20キロぐらい一気に抜けて、元気になったんです。 | ||
松村 | それで保存期を5年?食事療法を頑張ったんですか? | ||
加藤 | ええ、タンパク制限が最初は50gで、40、35になって、高血圧の薬も飲んでましたけど、だんだんむくみがひどくなって、透析になりました。 | ||
松村 | 透析のときは、お子さんはどなたかに見て頂いたの? | ||
加藤 | いえ、子供が保育園の時に透析になって、移植したのは息子が中学1年でしたけど、主人は仕事が忙しく、親に預けても甘やかしてしまうので、小学生のときは、透析に連れて行ってました。夜間透析だと病院も空いているので、透析室で宿題をさせて、終わったらお弁当を食べさせ、テレビでも漫画でも好きなことしていいよって。 | ||
松村 | 息子さんも大変でしたね。透析に入って体調は? | ||
加藤 | とても楽になりました。もっと早く透析を始めても良かったと思ったくらい。でも最初だけで、次々に合併症が出て、それも痛くて辛い合併症ばかりで… | ||
松村 | どんな合併症が? | ||
加藤 | 足が腐ったり、バネ指とか。 | ||
松村 | それは辛かったわね、足や手が使えないということ? | ||
加藤 | そうなんです、足が痛くて自分で歩けないから、透析にも主人に送ってもらって、料理とか、家のこともできなくなって。 | ||
松村 | シャントトラブルは? | ||
加藤 | ひどかったです。糖尿病で血管が痛んでいるので、細すぎてシャントが作れなく、人工血管を入れました。それも3年半しか保たなくて、2個目も作りました。 | ||
松村 | 糖尿病性腎症は辛いのよね | ||
加藤 | 痛いし、辛いし、なんで自分は生きているんだろうって鬱になったこともありました。自分で透析に行くこともできず情けなくて。主人に、私じゃなかったらこんな苦労をかけることもないのにと、何度かいったことがあります。 | ||
松村 | ご主人はなんと? | ||
加藤 | 「病気か、病気じゃないかということは関係ない」といってくれて、でも本当に申し訳ないと感じていましたね。 | ||
松村 | そういうときは、お子さんがいるからと思うでしょ | ||
加藤 | 本当に主人と息子のためだけに、痛いのを我慢して生きているという感じでした。 | ||
松村 | 膵腎同時移植ができて、良かったですね。 | ||
加藤 |
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みんなのおかげで今、笑って話せる
松村 | 体験談を講演しておられるということですが、どんなところで話しているのですか? |
加藤 | 中学校の「命の授業」などで話させてもらっています。最初は、中学生がフンフンと聞いてくれるのが楽しくて、「でさぁ、でさぁ、でさぁ」と、次々笑いながら話していたんですけど、はっと気がついたんです。「これではただのごくらくトンボのおばさんで、私の辛さが伝わらない」と。 |
松村 | それでどうされたのですか? |
加藤 | 私の話を聞いている中学生に、「一回くらい死んでしまいたいと思うほど辛かったことってあると思う?」って聞いたら、みんなが「ない~!」って即答したんです。「ああ、やってしまった」と思いました。 |
松村 | でも、きっと伝わっていると思いますよ。 |
加藤 | ええ、後で感想文を見せてもらったら、「大変だったのに、今、こんなに幸せそうだから、自分も辛いことがあっても頑張ろうと思いました」とか、「なんて加藤さんは強い人で、僕も強い人になりたい」とか書いてあって、私のつたない話でもちゃんとくみ取ってくれていてありがたいなと思いました。 |
松村 | それはそうですよ。だって10才から糖尿病で、年頃の女の子が毎日自分でインスリン注射を打ったり、命をかけて子供を産んだと聞いたら、それは相当辛かっただろうと思いますよ。それがこんなに明るく話してくれる貴女から、しっかり命の大切さを感じてくれているのじゃないですか。 |
加藤 | そうだとありがたいです。私の場合は、病気だからと特別扱いされることがなく、普通に扱ってもらい、学校のイベントにも参加できました。友達も病気のことを知らない人が多かったので、明るくいられたのだと思います。おかげさまで、いろいろな人に助けてもらい、ここまでこれました。 |
松村 | ご両親や先生方のお考えだったのでしょうね。 |
加藤 | ええ、おかげさまで、本当に感謝しています。 |
松村 | これからの希望とかは? |
加藤 | とても長生きできるとは思っていなかったんですが、移植したおかげで、息子の結婚式に出たいとか、孫を抱きたいとか、思うようになりました。 |
松村 | そうですね、まだ若いのですから、いただいた膵臓や腎臓ができるだけ長く保つように大事にしてくださいね。 |
加藤 | ええ、それはいつもドナーさんと一緒にいる気持ちで、とても大切にしています。 |